お城の紹介をします。
愛知県豊川市の岩略寺城(長沢山城)です。
旧東海道を望む、標高168mの御城山の山頂に築かれた山城です。
1444年~1449年の間に関口満興により築かれたと云われています。
その後、松平信光により攻略され長沢松平家の親則に与えられたとされます。
1551年には今川氏の匂坂長能が在城して、岩略寺城の改修を行いました。
1560年に桶狭間の戦いで今川義元が敗れると、今川氏の三河支配力が薄れ、1561年には徳川家康により攻略されました。
1590年の徳川家康の関東移封に伴い、廃城となりました。
現在でも山頂部の本曲輪の土塁や、三日月堀が良好に残されていて、見どころとなっています。
岩略寺城・基本情報、アクセス
所在地:〒441-0203 愛知県豊川市長沢町
城 主:関口氏、松平氏、匂坂氏、徳川氏
形 式:山城
文化財史跡:豊川市指定史跡
日本100名城スタンプ:該当無し
岩略寺城・駐車場
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1585-1024x682.jpg)
名電長沢駅から南西に延びる道路を真っ直ぐ行くと、林道があります。
林道の入口には、獣よけのフェンスがあるので、自分で空けて通過した後は忘れずに閉めます。
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1588-1024x682.jpg)
林道を進んで行くと、終点に岩略寺城の駐車場があります。
10台程は駐められる、大きな無料駐車場があります。
なお、トイレは無いので注意が必要です。
岩略寺城・縄張り
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1589-1024x682.jpg)
岩略寺城は標高168mの山頂に築かれた山城です。
方形の本曲輪を中心に、二ノ曲輪、東曲輪、南曲輪、腰曲輪などの曲輪が尾根伝いに築かれています。
山城特有の高低差を生かして曲輪を多数造ることにより、下段に迫った敵に横矢が掛けられるようになっています。
城内には5箇所の井戸跡があるのも、特徴的です。
岩略寺城・登城口
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1590-1024x682.jpg)
駐車場の横に登城口があります。
岩略寺城・南曲輪
虎口
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1591-1024x682.jpg)
登城口を登って行くと、右手に南曲輪の虎口が見えて来ます。
南曲輪が一段高い場所にあるので、頭上から横矢が掛かるようになっています。
内部
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1628-1024x682.jpg)
南曲輪は、本曲輪の南側に位置する曲輪です。
本曲輪の南側の防御を担っている、細長い曲輪で平地が続いています。
岩略寺城・三日月堀
竪堀
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1592-1024x682.jpg)
南曲輪から一度登城道に戻り、北へ歩いていくと竪堀が左手にあります。
竪堀の深さは1m程で、斜面へと落ちて行っているのが分かります。
堀切
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1596-1024x682.jpg)
更に先へ進むと堀切らしき跡があります。
本曲輪の西側にある堀切で、南北の移動を遮断しています。
三日月堀
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1597-1024x682.jpg)
堀切の先に、三日月堀があります。
三日月堀は本曲輪の北側に築かれ、本曲輪の斜面を登られないように、防備が強化されています。
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1601-1-1024x682.jpg)
三日月堀は深さが1m、幅が1.5m、全長15~20m程の規模があります。
曲線を描いた堀がキレイに残されているので、岩略寺城一番の見どころです。
当時はもっと深かったと思われます。思わず堀底を歩きたくなります。
岩略寺城・東曲輪
内部
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1616-1024x682.jpg)
二ノ曲輪の東側には、東曲輪があります。
東曲輪は、岩略寺城の北東と南東に延びる尾根筋を繋ぐ、要所にある曲輪です。
北に延びる尾根にも接続しているので、それぞれから迫る敵に対して横矢が掛けられるようになっています。
井戸跡
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1614-1024x682.jpg)
東曲輪の近くには、井戸跡があります。
現在、井戸は埋まってしまっていて、水はありません。
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1618-1024x682.jpg)
東曲輪付近には、井戸が2箇所もあります。
こちらの井戸も水はありません。
岩略寺城・腰曲輪
内部
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1626-1024x682.jpg)
本曲輪の西側には、腰曲輪があります。
腰曲輪は南曲輪や腰曲輪西側の敵に対して、横矢が掛けられるようになっています。
腰曲輪は、本曲輪の西側の防備を強化する曲輪です。
土塁
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1627-1024x682.jpg)
腰曲輪の南側には、土塁が築かれています。
現在の土塁の高さは、1m程しかありませんが、南曲輪の敵に対して備えられていることが分かります。
岩略寺城・井戸曲輪
長沢の城山跡の標識
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1634-1024x682.jpg)
本曲輪の北西には、井戸曲輪があります。
井戸曲輪と云うだけあって、井戸跡がもちろんあり、長沢の山城跡の標識や小さなお社も建てられています。
井戸跡
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1632-1024x682.jpg)
井戸曲輪の井戸跡です。
岩略寺城には、5箇所の井戸跡が残されています。
当時から5箇所もの井戸を使用していたかは分かりませんが、城内の貴重な水源ですね。
籠城戦も充分に行う事ができます。
岩略寺城・二ノ曲輪
内部
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1635-1024x682.jpg)
本曲輪の北側に二ノ曲輪があります。
二ノ曲輪は小さな曲輪ですが、本曲輪と東曲輪の間にある為、北側と東側から迫って来た敵に対して備えられています。
土塁
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1638-1024x682.jpg)
本曲輪と二ノ曲輪を仕切る土塁
本曲輪と二ノ曲輪の間には、土塁が築かれています。
土塁の高さは1m程ですが、本曲輪を防衛する為の重要な土塁であったと思われます。
岩略寺城・本曲輪
内部
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1620-1024x682.jpg)
本曲輪は方形の形をした、岩略寺城で最も広い曲輪です。
北側には二ノ曲輪、南側には南曲輪、西側には腰曲輪、東側には東曲輪に守られている厳重な防備となっています。
土塁
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1642-1024x682.jpg)
本曲輪の西側には土塁が残されています。
土塁の高さは2m程はあり、良好に残されているので、岩略寺城の見どころです。
現在確認できるのは一部のみですが、当時は全周に土塁が築かれていたかも知れません。
最後に
![](https://okaneosiroblog.com/wp-content/uploads/2021/05/IMG_1664-1-1024x682.jpg)
岩略寺城は本曲輪や二ノ曲輪、東曲輪などの曲輪跡が良好に残されています。
特に三日月堀や本曲輪の土塁が良好に残されているので、見応えがありオススメの山城です。
愛知県のオススメのお城
コメント