武蔵松山城の御城印や駐車場、見どころを紹介!

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お城

埼玉県比企郡吉見町にある武蔵松山城。

室町時代に上田氏により築城されたと云われる平山城です。

1537年に北条氏綱が川越城を落とした後に松山城も攻撃を受けますが、扇谷上杉氏の重臣であり城主の難波田憲重が撃退します。

その後も、北条氏や上杉氏により激しい攻防が行われ城主が入れ替わります。

1590年に豊臣秀吉による小田原征伐時に前田利家、上杉景勝などの軍に攻められ落城します。

小田原征伐後に徳川家康が関東に移封されると、松平家広が城主となります。

1601年に松平家広の弟である忠頼の時に浜松に移封され、廃城となります。

現在では国の史跡に指定され、本曲輪や二の曲輪などの曲輪群や、空堀、土塁などが残され見どころとなっています。

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武蔵松山城・基本情報、アクセス

所在地:〒355‐0155 埼玉県比企郡吉見町北吉見298

城 主:上田氏、難波田氏、扇谷上杉氏、太田氏、松平氏

形 式:平山城・連郭式

文化財史跡:国指定史跡

日本100名城スタンプ:該当なし

武蔵松山城・御城印

吉見百穴入口

 武蔵松山城 御城印 1枚500円

武蔵松山城の御城印が販売されています。

武蔵松山城近くの「国指定史跡 吉見百穴」の受付で、1枚500円で購入する事が出来ます。

吉見百穴(国指定史跡)

岩盤に多数の横穴が開けられている吉見百穴

武蔵松山城の北側には「国指定史跡 吉見百穴」があります。

吉見百穴は古墳時代末期(6世紀末から7世紀後半)に造られた横穴墓群です。

吉見町埋蔵文化財センターが併設していて、吉見百穴はもちろん武蔵松山城に関する資料も展示されています。

【国指定史跡 吉見百穴】

所在地:〒355‐0155 埼玉県比企郡吉見町北吉見327

営業時間:8:30~17:00(入場は16:30まで)

入場料:中学生以上300円・小学生200円・小学生未満無料

休業日:年中無休

ウェブサイト:吉見百穴/ヒカリゴケ/吉見町

武蔵松山城・駐車場

吉見百穴駐車場

武蔵松山城の北側に「吉見百穴駐車場」があります。

240台停められる大きな無料駐車場です。駐車場は利用時間が決まっていて、8:30~16:30の間となっています。

トイレは吉見百穴と吉見町埋蔵文化財センターにあります。

武蔵松山城・登城口

登城口に立つ武蔵松山城の説明板

武蔵松山城の西側に登城口があります。

登城口には武蔵松山城の説明板があり、登城口から本曲輪までは10~15分程で行くことが出来ます。

武蔵松山城・本曲輪

本曲輪に立つ説明板と標識

本曲輪は南北45m、東西45m程の広さがある曲輪で、現在は神社や社殿の跡が残されています。

本曲輪の北東側の突出部には櫓台が設けられています。

武蔵松山城・兵糧倉

兵糧倉内部

兵糧倉内部の様子

本曲輪の北側に兵糧倉と呼ばれる曲輪があります。

兵糧倉は南北45m、東西20m程の大きさの曲輪で、本曲輪との間には空堀が築かれています。

兵糧倉と云われていますが、実際に文献や資料で裏付けされた事はなく便宜上に付けられた名前です。

搦め手口

搦め手口に建つ江戸時代に再建された岩室観音堂

武蔵松山城の北西側に搦め手口があります。

現在搦め手口には岩室観音堂が建てられていて、お堂の二階に上がる事が出来ます。

お堂の奥には細長い搦め手口が続いていますが、現在は通る事が出来ません。

武蔵松山城・惣曲輪

惣曲輪内部

惣曲輪内部の様子

武蔵松山城の北側には惣曲輪があります。

惣曲輪は城内でも1、2を争う大きな曲輪で、発掘調査により15世紀後半から16世紀中ごろのかわらけ、火鉢、鉄玉、小太刀が見つかっています。

虎口跡

惣曲輪東側の虎口跡

惣曲輪の東側には虎口跡があります。

虎口の通路の南側には土塁、北側には空堀が築かれていて、現在でも虎口の形が分かります。

惣曲輪東側の虎口跡は、城内で最も良好に残されている虎口で見どころです。

武蔵松山城・曲輪4

曲輪4内部

西側に土塁が残されている曲輪4

武蔵松山城の東側に曲輪4があります。

曲輪4は西側に幅5mの土塁が残されている方形の曲輪で、東側には空堀が築かれています。

堀切

曲輪4と曲輪3の間に築かれている堀切

曲輪4と曲輪3の間には堀切が築かれています。

堀切は深さが6~7m、幅は10m以上あるかと思われ、城内を南北に貫いています。

曲輪4と曲輪3の間の堀切は折れを伴い、全長200m以上にも及ぶ大規模なもので見どころです。

武蔵松山城・三ノ曲輪

三ノ曲輪内部

三ノ曲輪内部の様子

曲輪4の西側に三ノ曲輪があります。

三ノ曲輪は南北50m、東西18m程の大きさで細長い曲輪で、曲輪4よりも5m程高い位置にあります。

東側からは空堀を挟んで曲輪4を一望する事が出来ます。

空堀

三ノ曲輪と二ノ曲輪の間に築かれている空堀

三ノ曲輪と二ノ曲輪の間には空堀が築かれています。

空堀は三ノ曲輪と曲輪4の間に築かれたものと同等規模ですが、冬でも草が生い茂っていて見づらくなっています。

武蔵松山城・馬出

三ノ曲輪から馬出に繋がる土橋

三ノ曲輪の南側に馬出があります。

馬出は防御力を高める為の小さな曲輪で、周囲は空堀が築かれています。

三ノ曲輪から繋がる土橋は細く、空堀に囲まれている馬出は他の曲輪とは違った雰囲気があり、見どころです。

武蔵松山城・二ノ曲輪

二ノ曲輪内部

二ノ曲輪内部の様子

本曲輪と三ノ曲輪の間に二ノ曲輪があります。

二ノ曲輪は南北64m、東西60m程の大きさ、本曲輪よりも1m程低い標高となっています。

本曲輪東側の櫓台を囲むようにコの字型になり、折れが多用されている重要な曲輪となっています。

空堀

本曲輪と二ノ曲輪の間の空堀

本曲輪と二ノ曲輪の間には空堀が築かれています。

空堀は深さ9m、幅10m以上の城内最大の大きさを誇り、櫓台を囲むように折れが伴っています。

本曲輪と二ノ曲輪の空堀は武蔵松山城で最も大きく、折れも多用されていて見どころです。

まとめ

武蔵松山城の北西側壁部に築かれている横穴

【武蔵松山城の見どころ】

本曲輪と二ノ曲輪の間に築かれている城内最大規模の空堀

曲輪3と曲輪4の間に築かれている城内を仕切る堀切

三ノ曲輪から繋がる土橋と空堀に囲まれた馬出

惣曲輪東側の当時の形が分かる虎口跡

ウェブサイト:松山城(比企城館跡群)-一般社団法人東松山市観光協会

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