大分県竹田氏にある岡城。
1185年に源義経を迎える為に、緒方三郎惟栄が築城したという伝説に始まります。
1334年に大友氏の一族である志賀貞朝により拡張され、岡城と名付けられました。
1586年に薩摩の島津義弘が岡城を攻撃しますが、志賀親次が撃退し難攻不落の城として知られるようになります。
1593年の豊臣秀吉の朝鮮出兵で主家の大友氏が失策により所領を没収されると、志賀親次も岡城を去る事になります。
1594年に播磨国三木から中川秀成が入城し、岡城の大改修、城下町整備を行います。
その後代々中川氏が城主となり、7万石の岡藩が明治維新まで続きます。
1871年に廃城令により城内の建物が破却され、石垣を残すのみとなります。
現在城跡は国の史跡に指定され、三の丸の高石垣、本丸の御三階櫓跡の石垣、大手口の石垣などが残され見どころとなっています。
岡城・基本情報、アクセス
所在地:〒878‐0013 大分県竹田市竹田2889
城 主:志賀氏、中川氏
形 式:山城
文化財史跡:国指定史跡
日本100名城スタンプ:岡城料金所
岡城・御城印

岡城 御城印 1枚800円(切絵版)
岡城の御城印が販売されています。
岡城の入口にある「岡城料金所(岡城跡 観覧券発券所)」で1枚300円(通常版)で購入する事が出来ます。(切絵版800円もあります。)
また、日本100名城のスタンプもこちらに設置されています。
【国指定史跡 岡城跡】
所在地:〒878‐0013 大分県竹田市竹田2889
入城受付:9:00~17:00
入城料:高校生以上300円、小中学生150円
休城日:12月31日~1月3日
ウェブサイト:国指定史跡 岡城跡‐大分県竹田市 難攻不落の城
岡城・駐車場

岡城の南西側入口付近に「史跡岡城跡 駐車場」があります。
140台停められる広さの無料駐車場です。トイレは駐車場内や岡城内二の丸休憩所にあります。
春と秋を中心に東中仕切門まで送迎してくれる登城バスも運行されています。
岡城・縄張り図

岡城は稲葉川と白滝川に挟まれた標高325mの天神山に築かれた山城です。
城域の中心に本丸や二の丸、三の丸が集約され、東側に志賀氏時代の中心部であった東の郭、西側に広大な西の丸、西の丸の北側に家老の屋敷跡が配置されています。
城域のほとんどが総石垣造りで郭の虎口には石垣と櫓門で折れや桝形が形成されていて、難攻不落の城郭となっています。
岡城・登城口

岡城の料金所の先に岡城の登城口があります。
この場所から階段を5分程登って行くと大手門、西の丸に行くことが出来ます。
登城道の端にはアーチ状のかまぼこ石があり、他の城郭では見ないものとなっています。
岡城・大手口
大手門跡

登城道を登って行くと大手門跡が見えて来ます。
大手門には隅部がほぼ垂直になっていてる石垣が残されていて、当時は上部に櫓門が建てられていました。
1594年に中川氏が入城後に大手口、下原口、近戸口の3ヵ所の入口が造られ大手口は東向きになっていました。
1612年に藤堂高虎が訪れた際に大手口を西向きに変える様に意見を受け、現在の位置に変更されました。
大手門跡に残る石垣は西洋の城郭のような雰囲気があり、岡城の見どころです。

大手門の先は石段により桝形が形成されていて、左に折れる様になっています。
門の礎石や車敷も残されていて堂々とした大手門の迫力が感じられます。
この先に古大手門跡もあり、石垣が残されています。
岡城・中川但見屋敷跡

西の丸の北東側に中川但見屋敷跡があります。
中川但見は中川清秀に仕えた戸伏氏の家系で、2代藩主久盛の時に中川性を賜っています。
中川秀成が入部し岡城を築城して本丸が完成するまでの間に仮屋敷として過ごしていました。
岡城・三の丸
高石垣

西の丸の東側に三の丸があります。
三の丸の入口付近からは三の丸北西側の高石垣群を見る事が出来ます。
三の丸北西側の石垣は高さが16~21mあり、隅部は算木積み、場所により布積み、乱積み、谷積みと多彩で、迫力があり岡城一番の見どころとなっています。
中仕切門跡

三の丸の西側には中仕切門跡があります。
中仕切門は岡城の本丸、二の丸、三の丸などの主要部に入る為の門で、石垣により直進出来ないように折り曲げれています。
当時は門が設置されていたと思われる礎石も残されています。
太鼓櫓門跡

西中仕切門跡の先には更に太鼓櫓門跡があります。
太鼓櫓門は岡城で最も重要な門で、2m程の巨石を切込接ぎで隙間なく積まれていて、岡城藩主の権威を示しています。
太鼓櫓門跡の両側の石垣は高さが5m程あり、更に奥には小さな桝形空間もあり、厳重な虎口である事が体感出来て見どころです。
三の丸内部

三の丸は西の丸と本丸の間にあります。
当時の三の丸の中心部には四十畳の寄附、三十畳の御広間を備えた殿舎がありました。
三の丸は他藩の使者や家臣と対面する場所として利用されていました。
岡城・二の丸
二の丸内部(休憩所)

本丸の北側に二の丸があります。
当時の二の丸中央には御殿が建てられていて、老松ノ間、山吹き間等の書院が地形に沿って建てられていました。
東端には2階建ての風呂屋という建物があり、石垣から張り出して足場が組まれていました。
月見櫓跡

二の丸の北端に月見櫓跡があります。
月見櫓は数寄屋風の2階建ての建物で、2階部分には縁が巡らされた望楼が設けられていて、茶の湯や酒、書画などが楽しまれていました。
瀧廉太郎像

二の丸には瀧廉太郎の像があります。
瀧廉太郎は明治時代に活躍した作曲家で、少年期に岡城で遊んだ経験から「荒城の月」を作曲しました。
城下町には瀧廉太郎が過ごした邸宅があり、記念館として公開されています。
岡城・本丸
虎口跡

本丸北西側に虎口跡があります。
虎口は石段が組まれ途中で右に折れていて、直進出来ないようになっています。
石段の途中には樋と水受けがあり変わった空間となっています。
本丸内部

本丸は岡城の中心部にあり、当時は本丸御殿が建てられていました。
藩主の住まいとなった本丸御殿の他にも、御三階櫓、角櫓、多門櫓、金倉などの建物が建てられていました。
現在は岡城天満神社が建立されていて、難攻不落の城から落ちない御利益があります。
御三階櫓跡

本丸の南隅に御三階櫓跡があります。
御三階櫓は天守に匹敵する櫓で、中川秀成の時代のものは初重が9間×8間の大きさで三階部分に花頭窓、廻り縁高欄が造られていました。
秀成創建の御三階櫓は1769年または1771年に風雨と地震で倒壊し、1774年に一回り小さい大きさで再建されました。
現在御三階櫓はありませんが櫓台の石垣は高さが10m程で、隅部は綺麗な算木積みとなっていて、見どころとなっています。
金倉櫓跡

本丸の東隅部に金倉櫓跡があります。
金倉櫓がどのような建物であったかは分かりませんが、金を保管していたのかも知れません。
金倉櫓の石垣も高さが10m程あり、隅部は綺麗な算木積み、中央部との積み方の対比が面白くなっています。
東中仕切門跡

本丸の東側に東中仕切門跡があります。
東中仕切門は本丸の東側を守る重要な門で、門先には堀切と土橋、更に金倉櫓が正面にあり、堅固な縄張りであることが分かります。
岡城・東ノ郭
清水門跡

東ノ郭の西側に清水門跡があります。
清水門は藩主が稲葉川のそばに建てた河内谷御茶屋に行く為の門で、現在でも石垣が残されています。
河内谷御茶屋の対岸に三日月の形に掘った三日月岩があり、藩主は三日月岩に明かりを灯して月見を楽しんだと云われています。
御廟所跡

本丸の東側には東ノ郭があります。
東ノ郭は志賀氏時代に中心部として利用されていた郭で、中川氏が城主となったからは藩主の父である中川清秀、兄の中川秀政、初代藩主である中川秀成を祀る神社がありました。
現在は建物の前にあったと思われる石垣が残されています。
下原門跡

東ノ郭の東端に下原門(しもばるもん)跡があります。
下原門は志賀氏時代に大手門として利用されていましたが、中川氏以降は岡城の搦め手門(裏門)として利用されました。
門跡の両側には高さ5~6m程の石垣が残されていて、隅部は算木積み中央部は布積み、虎口は左、右と折れていて壮観で見どころです。
まとめ

【岡城の見どころ】
・三の丸南西側から見える三の丸の高さ16~21mあり、折れが伴う圧巻の高石垣
・本丸南隅の高さ10m、隅部が綺麗な算木積みで当時は御三階櫓が建てられていた石垣
・三の丸の入口で高さ5m、2mの巨石や隙間なく切込接ぎで積まれた太鼓櫓門跡の石垣
・かまぼこ石を備えた登城道を登った先の、整然と積まれた西洋の雰囲気が感じられる大手門の石垣
・東ノ郭の入口で志賀氏時代は大手門であった両側に高さ5~6m程の石垣が残る下原門の石垣
岡城 西の丸、城下町の詳細ページ
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