福井県福井市にある北ノ庄城。
1575年に織田信長は一向一揆を鎮圧し、越前49万石を柴田勝家に与えました。
柴田勝家は足羽川と吉野川の合流点に数年の歳月を掛けて北ノ庄城を築城しました。
1581年に宣教師のルイス・フロイスは北ノ庄城を訪れ、「城や他の家の屋根が立派な石で葺いてあってその色により一層城の美観を増した」と本国に書簡を送っています。
1583年に柴田勝家は賤ケ岳で羽柴秀吉と戦いますが敗れ、北ノ庄城に逃れます。
北ノ庄城を秀吉に攻められた勝家は自ら城に火を放ち、妻のお市の方と共に自刃し壮絶な最期を遂げます。
羽柴秀吉が小早川隆景に宛てた手紙には北ノ庄城の様子が書かれていて、天守が九重であったと伝えられています。
現在では城跡に柴田神社が建てられていて、石垣や堀跡、福井城の門跡、北の庄城址資料館があり、見どころとなっています。
北ノ庄城・基本情報、アクセス
所在地:〒910-0006 福井県福井市中央1丁目21
城 主:柴田勝家
形 式:平城
文化財史跡:ー
日本100名城スタンプ:該当なし
北ノ庄城・本丸
柴田公園
北ノ庄城跡は現在「北の庄城・柴田公園」として整備されています。
公園の南側の入口には、北ノ庄城の想像図や説明板が設置されています。
堀跡
北ノ庄城跡には堀跡があります。
発掘調査により福井城の下層から幅25mの南北に延びる堀跡が確認されました。
堀の規模から柴田勝家が築城した北ノ庄城の堀ではないかと考えられています。
日向門跡
堀跡の近くには日向門跡があります。
日向門跡は北ノ庄城の遺構ではなく、福井城三の丸南側にあった門で、発掘調査で確認された礎石の位置が展示されています。
そばには日向門の桝形を形成していた土居も展示されています。
柴田勝家公の像
北ノ庄城跡には柴田勝家公の像があります。
柴田勝家は織田信長に仕えた武将で数々の戦いに参加し功を上げ、1576年に北陸方面軍の司令官に任命されました。
本能寺の変で織田信長が討たれると、羽柴秀吉と対立し1583年に賤ケ岳で戦いますが敗れます。
柴田勝家の居城であった北ノ庄城を秀吉に攻められ、自身で城に火を放ち妻のお市の方と壮絶な最期を遂げました。
石垣
柴田勝家公の像の横に石垣跡があります。
江戸時代に結城秀康により福井城が築城される際に、北ノ庄城の石垣は取り除かれ、根石のみが残された状態となっています。
石垣は南側でも確認されていて、北ノ庄城の数少ない遺構となっています。
柴田神社
北ノ庄城跡には柴田神社があります。
柴田神社は柴田勝家を主祭神とする神社で、1890年に福井藩主であった松平春嶽や旧藩士らにより建立されました。
柴田勝家とお市の方が祀られていて縁結びの神社として有名で、北ノ庄城の御城印や御朱印を頂くことが出来ます。
北の庄城址資料館
北ノ庄城跡には「北の庄城址資料館」があります。
1Fは休憩施設、2Fは北の庄城や柴田勝家に関する資料が展示されています。
無料で見学することが出来るので、必見です。
「北の庄城址資料館」
まとめ
【北ノ庄城の見どころ】
・柴田勝家が築城した際の数少ない遺構である石垣
・柴田勝家を主祭神として祀る柴田神社
ウェブサイト:北の庄城址・柴田公園のご案内
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