高天神城のアクセスや堀切、横堀などの見どころを紹介!

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お城

静岡県掛川市の高天神城です。

戦国時代の初めに今川氏の家臣である福島氏が城主となったことに始まります。

1560年の桶狭間の戦い後には、徳川氏の支配下になります。

1574年に武田信玄の子の勝頼が高天神城を攻略すると、城を改修しました。

徳川氏が周囲に高天神六砦といわれる付城を築き、1580年に高天神城を攻撃しました。

翌1581年に城代の岡部元信は、兵糧が尽き援軍も期待できないことから城兵と共に打って出て討ち死にし、高天神城は落城しました。

現在でも、一城別郭と呼ばれる、西峰と東峰に築かれた曲輪群や堀、土塁跡が残されていて見どころとなっています。

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高天神城・基本情報、アクセス

所在地:〒437‐1435 静岡県掛川市上土方嶺向

城 主:福島氏、小笠原氏、横田氏、岡部氏

形 式:山城

文化財史跡:国指定史跡

続日本100名城スタンプ場所:大東北公民館

高天神城・駐車場

高天神城の北側と南側に無料駐車場があります。

北側は100台程駐められる大きな駐車場で、南側は10台程の狭い駐車場なので、北側がオススメです。

高天神城・東峰

追手門跡

追手門跡

高天神城を南側から登ります。

まず最初に追手門跡があります。

山道の途中にあり門はありませんが、右に折れ曲がっています。

狭い道なので簡易的な門があったのでしょうか。

山道の分岐点

更に先に進むと、分岐点があります。

真っ直ぐ進むと三の丸、左に行くと二の丸です。

三の丸

高天神城東峰の東にある三の丸

三の丸は高天神城の東端にあり、比較的大きな曲輪です。

城内の武将が滞在した場所で、武田氏が攻めてきたときには、小笠原与左衛門清有が城兵と共に守っていた為、与左衛門平と呼ばれています。

曲輪の周囲には少しですが、土塁の跡があります。

御前曲輪

顔はめパネルと模擬天守が建てられていた跡が残る御前曲輪

三の丸の一段上には、御前曲輪があります。

山の上に顔はめパネルがあります。

パネルの後ろにある四角く囲まれた場所は、1934年に軍医少将が地元を偲び、2層の模擬天守閣を建てた跡です。

残念ながら1945年に落雷で焼失してしまいました。

元天神社

元天神社

御前曲輪の横には、元天神社があります。

小さなお社があり、神聖な空気がしますね。

本丸

東峰の山頂にある本丸跡

東峰の最高所に本丸があります。

武田氏の来攻に備えて、小笠原長忠、大河内政局が在城したいましたが、武田氏の猛攻により開城します。

その後、武田氏の岡部元信が城主として入城しますが、徳川氏の高天神城の包囲により、城内が飢餓に見舞われす。

夜に岡部元信と城兵は、二手に分かれて徳川方突撃しますが、全滅してしまいます。

武田氏と徳川氏で壮絶な戦いになり、両者で奪い合ったお城ですね。

土塁

本丸にわずかに残る土塁跡

本丸にも一部に土塁跡があります。

高さはないですが、風雨にさらされ現在でも残っているのが貴重ですね。

的場曲輪

的場曲輪

本丸の一段下には的場曲輪があります。

弓矢を射るための的場があった曲輪でしょうか。

大河内政局石窟

本丸の斜面に残る大河内政局石窟

本丸の斜面には大河内政局石窟があります。

小笠原長忠と大河内政局が守っていた時に、武田氏の攻撃により開城しましたが、大河内政局は指示に従わずに城に残った為、武田氏によりこの石窟に幽閉されてしまいました。

7年後の徳川氏が高天神城を落すと、大河内政局は助け出されますが、長年の幽閉生活で歩くことが出来ませんでした。

徳川家康は政局の忠義に感激し、労をねぎわい恩賞を与えました。

政局は後年に徳川家康に召し抱えられ、小牧長久手の戦いに参戦し討ち死にします。

7年間もの間この狭くて薄暗い、石窟で堪え忍んでいたとは驚きです。

高天神城・西峰

中間地点

東峰と西峰の中間点

東峰と西峰の中間点は、北側の駐車場に通じています。

井戸曲輪

現在も井戸が残る井戸曲輪

中間地点から西へ行くと井戸曲輪があります。

現在でも井戸があり、城内の貴重な水源になっています。

井戸曲輪の上の西の丸には、現在神社が建立されています。

堀切(堂の尾曲輪)

堂の尾曲輪の堀切

西峰の北側には堂の尾曲輪があり、大きな堀切があります。

大規模な堀切で曲輪を断ち切り、敵の侵入を防いでいます。

迫力があり、見どころですね。

横堀(堂の尾曲輪)

堂の尾曲輪西側の横堀

堂の尾曲輪の西側には横堀があります。

100mほどの堀が良好に残っていて、高天神城の一番の見所です。

写真では分かりづらいですが、堀の深さは2mほどあり敵を防ぐには十分な効果があります。

堀切(西曲輪と馬場平)

西の丸と馬場平の間の堀切

西の丸に隣接する馬場平との間は、堀切で仕切られています。

こちらも大規模な堀切で、階段で堀切の底まで降りることが出来ます。

実際に登り降りすると、堀切の大きさが実感できて良いです。

甚五郎抜け道

馬場平の先にある甚五郎抜け道

馬場平の先には甚五郎抜け道があります。

武田方の軍監横田甚五郎尹松は、徳川方に攻められ落城した際に本国の武田勝頼に知らせる為、この道を通り城を脱出しました。

人ひとり通るのがやっとの道で、両側が切り立った崖になっているので、非常に危険な道です。

滑落してしまう可能性があるので、通るのは止めておいた方が良いでしょう。

横田甚五郎は良くこのような道を通りましたね。驚きです。

まとめ

馬場平から見る、景色

高天神城は武田氏と徳川氏で熾烈な争奪戦になったお城で、双方に多大な被害がでましたが、大河内政局や、横田甚五郎などのエピソードが魅力的です。

また、お城は東峰と西峰に大別されお互いに補完、連携する一城別郭と云われる珍しい縄張りなのも見所です。

高天神城を制する者は遠州を制するといわれる、良いお城です。

高天神城ウェブサイト

 https://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/kanko/spot-list/takatenjinjyoato.html

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