静岡県浜松市の二俣城です。
戦国時代の1572年~1575年の間に、徳川氏と武田氏の争奪戦になったお城です。
1572年に武田信玄が大軍を率いて徳川勢が守る二俣城に攻めかかりました。
武田信玄は二俣城を力攻めにせず、二俣城は天竜川付近に櫓を築きそこから水を確保している事に目を付け、天竜川へ筏を流し櫓を破壊し水の供給を止める事により、二俣城を攻略しました。
1575年には長篠の戦いで武田家に勝利した徳川家は二俣城を奪還する為、二俣城周囲に鳥羽山城に本陣を敷き、毘沙門堂や渡ケ島に砦を築き兵糧攻めにして、二俣城を攻略しました。
1579年には徳川家康の長男である徳川信康が武田勝頼に内通している嫌疑を織田信長にかけられ、この二俣城に幽閉され、自刃した事でも有名です。
現在でも標高90mの天竜川側の台地に築かれた城跡には、本丸、二の丸、蔵屋敷、南曲輪など残されています。
特に本丸に築かれた野面積みの天守台や、二の丸の枡形門、追手門、堀切などの遺構が残り見どころとなっています。
二俣城・基本情報、アクセス
所在地:〒431-3314 静岡県浜松市天竜区二俣町二俣990
城 主:松井氏、依田氏、大久保氏、堀尾氏
形 式:平山城 連郭式
文化財史跡:浜松市指定史跡
日本100名城スタンプ:該当無し
二俣城・御城印
二俣城 御城印(第3弾) 1枚300円
二俣城の御城印は枚数限定で販売されています。
天竜二俣駅横の天竜観光協会で1枚300円で購入する事が可能です。
しかし、枚数限定なので直ぐに完売してしまう為、次の御城印が販売されないと購入できません。
天竜観光協会のウェブサイトを確認して、1週間以内を目処に購入するのが良いかと思います。
ウェブサイト:天竜区観光協会オフィシャルサイト
二俣城・駐車場
二俣城の北東に専用駐車場があります。
山道を登った所にある、7台程駐められる無料駐車場です。
二俣城・縄張り
二俣城は天竜川そばの、標高90mの台地に築かれた平山城です。
二俣城の西側に流れる天竜川を天然の掘とした、自然の要害です。
本丸、二の丸、蔵屋敷、南曲輪を南側に一直線に築かれていて、本丸と二の丸以外の曲輪は堀切で仕切られていて、防備を強めています。
また、本丸の背後には堀切越しに北曲輪があり、搦手の防備も抜かりなしです。
本丸の入口には、石垣で築かれた喰い違い虎口や枡形門が築かれ、厳重な防備になっています。
二俣城・登城道
登城道横に流れる天竜川
駐車場から坂道を登っていくと、右手には天竜川が流れているのが分かります。
二俣城は山の上に築かれ、西側は天竜川が流れていて天然の堀としています。
自然の地形を利用した要害になっています。
堀切
坂道を登って行くと、本丸と北曲輪の堀切跡があります。
現在は駐車場からの登城道になっていますが、当時は本丸と北曲輪を仕切るための堀切となっています。
本丸の背後を守る為に、大規模な堀切を設けることで、搦手の防備を強化しています。
二俣城・北曲輪
堀切に架かる橋
堀切には橋が架けられていて、橋を渡った先が北曲輪になっています。
この橋は近年に架けられた橋と思われます。
旭ケ丘神社
北曲輪には旭ケ丘神社が建立しています。
旭ケ丘神社は明治時代に建立された神社で、国家公共につくした人々を祀っています。
北曲輪は搦手から迫る敵に対して横矢が掛けられるようになっていて、本丸の背後を守っている曲輪です。
二俣城・本丸
喰い違い虎口
北曲輪の南側には、本丸の入口である喰い違い虎口があります。
喰い違い虎口には、両脇に石垣が築かれ、直進出来ないように、道が右に折れています。
本丸へ侵入してくる敵に対して、横矢掛かり(側面攻撃)ができるようになっていて、厳重な虎口となっています。
天守台
本丸隅には天守台があります。
天守台の高さが4.6mもあり、右側には天守内に入る為の石段が設けられています。
実際に天守が建てられていたかは不明ですが、野面積みでどっしりと構えた天守台になっています。
これだけ大きな天守台があるとは思っていなかったので、驚かせられます。
天守台横の階段を指呼し登ると、本丸が見渡せます。
比較的広い広場になっているのが分かります。
徳川家康の長男の信康もこの景色を見たのでしょうか。
武田勝頼に内通していると疑いがかけられ為、徳川家康から蟄居を命じられましたが、信康はこの二俣城にどこような心境で居たのでしょうか。
二俣城・二の丸
二之門(枡形門)
二の丸には本丸へ入る為の枡形門が築かれています。
枡形門は石垣で造られていて、枡形内に侵入した敵に横矢が掛かるように工夫されています。
当時は虎口の入口と出口部分に、門が築かれていたのかも知れません。
二ノ丸内部
二の丸は本丸の南側に築かれた曲輪です。
本丸と二の丸の間には堀切は築かれていませんが、二之門の枡形虎口が築かれ防備を強化しています。
また、二の丸西側には一之門があり、天守からの側面攻撃ができるようになっています。
土塁
二の丸の南側には土塁が築かれています。
土塁の高さは2~3m程あり、南側の防備を強化しています。
追手門
二の丸の南側には追手門跡があります。
追手門の虎口は坂道になっていて、両側には石垣が積まれていて、当時は櫓が築かれていたと思われます。
追手門に迫る敵に対して、両側の櫓から挟撃できるように設計されていて、非常に厳重な虎口となっています。
野面積みの石垣が良好に残されていて、見どころです。
二俣城・蔵屋敷
掘切
二の丸と蔵屋敷に間には堀切が築かれています。
堀切は深さが2~3m、幅は3~4m程あり、現在でも良好な状態で残されています。
二の丸側が高所にある為、蔵屋敷側から見ると非常にやっかいな堀切です。
内部
蔵屋敷は二の丸の南側に築かれた曲輪です。
蔵屋敷は二の丸と相当規模の広さがあり、南側には土塁が残されています。
名前の通り蔵が建てられ、城内の食料や、武具などが保管されていたのでしょうか。
土塁
蔵屋敷の南側には土塁が築かれています。
土塁の高さは2~3m程あり、一部には石垣が築かれています。
ここにも石垣があるとは驚きで、見落としがちなので是非ご覧ください。
二俣城・南曲輪
堀切
南曲輪と蔵屋敷の間には堀切が築かれています。
堀切の深さは2~3m、幅は3~4m程あります。
二俣城は各曲輪間に堀切が築かれ、防御力を高めていることが分かります。
南曲輪は現在藪に包まれていて、入る事ができません。
まあ、ここまで来る人はかなりのお城好きと思われますが、整備されると良いですね。
最後に
二俣城は徳川信康が自刃した場所で、500m程北の所にある清瀧寺には信康の墓があります。
また、徳川家の家臣が二俣城主だった時に、武田氏が攻めてきました。
城内の水は天竜川に櫓を組み水を汲んでいましたが、武田側に水汲み櫓を落され落城します。
その櫓を再現したものが清瀧寺にあります。
是非、訪れて見てはいかがでしょうか。
ウェブサイト:二俣城跡及び鳥羽山城跡/浜松市
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