滋賀県甲賀市にある和田城。
和田谷には和田川に沿って7つの城館が築かれ、中世にこの地を支配した和田氏の城館と云われています。
和田氏の祖先は源満政とされ、足利義満や近江守護佐々木六角氏に仕えたと云われています。
和田城は7つの城館の中でも和田氏の中心的な城で、1565年に13代将軍足利義輝が二条城で暗殺されると和田惟政は一乗院覚慶(後の足利義昭)をかくまいました。
1569年に三好党の兵が本圀寺に居た足利義昭を襲撃すると、和田惟政は三好党を撃退します。
この項により和田惟政は高槻城を与えられ、キリシタン大名としても有名です。
和田城は和田城館群の中で最も南方に位置し、現在でも主郭を囲む土塁や虎口跡、曲輪間の堀切などが残され見どころです。
和田城・基本情報、アクセス
所在地:〒520-3422 滋賀県甲賀市甲賀町和田
城 主:和田氏
形 式:平山城
文化財史跡:市指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
和田城・駐車場
和田城の東側に「和田城遺跡駐車場」があります。
4台程停められる広さの無料駐車場です。トイレはないので注意が必要です。
駐車場には和田城館群のパンフレットが設置されているので、ありがたいです。
和田城・縄張り図
和田城は和田城館群の中で最も谷奥にあり、和田川や複数の城を見渡せる丘陵部に築かれています。
丘陵の頂部に50m四方の主郭を置き、外周部は土塁で囲まれ、西側に虎口が開かれています。
主郭の北、西、南側に曲輪が配置され、南側の曲輪との間には大規模な堀切が築かれています。
和田城・登城口
和田城の登城口は東側にあります。
登城口には和田城(縄張り図あり)や和田城館群、和田氏の説明板が設置されています。
登城口から主郭までは歩いて5~8分程で行くことが出来ます。
和田城・腰曲輪
登城道を歩いて行くと主郭北側の曲輪が見えて来ます。
北側の曲輪には井戸跡がありますが、草に覆われていて確認し辛いです。
主郭に西側には腰曲輪があり、縄張り図を見ると南側に虎口が築かれています。
和田城・主郭
虎口跡
主郭の西側に虎口跡があります。
腰曲輪から見ると上り坂になっていて、左に曲がるようになっています。
右の方の道へ進むと南側の曲輪へと続きます。
虎口の正面に立つと両側の高い土塁があり、迫力があります。
当時土塁の両側に門が建っていたのでしょうか?
主郭西側の虎口は良好に残されていて、和田城の見どころの一つとなっています。
主郭内部
主郭は1辺50mの方形となっていて、四方は土塁で囲まれています。
主郭内部に入ると土塁に囲まれていて壮観です。
土塁
主郭の南側の土塁は高さが7m、幅が20mもあり、和田城で最も大きな土塁となっています。
土塁がこれだけ良好に残されているとは驚きで、来た甲斐があったと思わせてくれます。
主郭南側の巨大な土塁は圧巻で、和田城一番の見どころです。
主郭南側の土塁の上は削平地があり、更に南側には土塁が築かれています。
この削平地には南方を見張る為の、建築物が建てられていたと考えられています。
土塁の上に更に土塁が築かれているのは面白い城郭です。
主郭の西側の良好に土塁が残されています。
土塁の高さは3~4m程で、主郭の土塁の高さがそれぞれ違うのが和田城の特徴となっています。
櫓台跡
主郭の東側にの土塁上にも削平地があり、櫓台跡と云われています。
東側を見張る建物と思われ、主郭東側の削平地の先は急勾配の崖地となっています。
和田城・南曲輪
堀切
主郭と南曲輪の間には堀切が築かれています。
堀切は深さが7m、幅が10m以上はあるかと思われ、規模の大きいものとなっています。
主郭と南曲輪の間の堀切は良好に残されていて、見どころです。
南曲輪や主郭から堀切を見下ろすと、高さをより一層感じることができます。
あらためて堀切があると大きな障壁となり、山城の基本的な防御機構だと実感します。
南曲輪内部
南曲輪は主郭の南側にあり、主郭より一回り小さい曲輪となっています。
南曲輪は和田城の南方を防備している重要な曲輪と思われます。
まとめ
【和田城の見どころ】
・主郭南側の高さ7m、幅20mの大規模な土塁
・主郭西側の土塁の切れ間に築かれた虎口跡
・主郭と南曲輪の間に築かれた深さ7mの大規模な堀切
ウェブサイト:和田城跡 滋賀県観光情報
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