奈良県大和郡山市の大和郡山城です。
1580年織田信長は大和の検地と郡山城以外の城郭の破却を命じ、筒井順慶を郡山城主にしました。
1583年に天守が完成し、1585年になると豊臣秀吉の弟である秀長が100万石で城主となりました。
秀長の時代に郡山城は大改修され、その後は秀長の養子である秀保が城主となりました。
さらに豊臣政権の五奉行のひとりである増田長盛が城主となり、1615年以降は譜代大名が城主となり、1724年に柳澤氏が城主となり明治維新を迎えました。
現在では、本丸に修復、復元された転用石を多用した天守台や、二の丸に復元された追手向櫓、追手門、追手東櫓、多門櫓などが見どころとなっています。
また、「日本さくら名所100選」に選ばれ桜の名所としても有名です。
大和郡山城・基本情報、アクセス
所在地:〒639-1011 奈良県大和郡山市城内町2
城 主:筒井順慶、豊臣秀長、柳沢氏等
形 式:平山城
文化財史跡:県指定史跡
続日本100名城スタンプ場所:柳沢文庫
大和郡山城・駐車場
お城の南側に大和郡山市立三ノ丸駐車場があります。300台程止められる立体有料駐車場す。
駐車場に車を止めてお城へ向かいます。
大和郡山城・二の丸
追手東櫓
お城の東側の線路手前から、追手東隅櫓が見えます。
来訪した時期は桜のシーズンで桜が満開です。
線路の手前から写真を撮りますが、線路の電線があり映り込んでしまいます。
なかなか電線が入らないように撮るにはコツが必要です。
桜と堀と追手東隅櫓がマッチしていて良いです。
鉄門跡を通り、追手門へ向かいます。
追手向櫓
追手向櫓が堀越しに見えます。
ここからのアングルが一番好きです。
追手向櫓と追手門と桜が一気に見られます。
当時の追手向櫓は明治期に破却されましたが、1987年に復元されました。
下見板張りの木の茶色と白漆喰の組み合わせで風情があります。
追手門
追手門は豊臣秀長が入城して築かれたました。
こちらも明治期に破却されましたが、1980年に築城400年を記念して復元されました。
桐の紋が付いているのが特徴的です。
ちなみに、追手門の背後には先ほどの追手向櫓があるので、追手門を突破しようとする敵を、背後から攻撃出来ようになっています。
旧奈良県立図書館
追手門を越えると旧奈良県立図書館があります。
明治期に建てられた図書館で、和洋折衷の貴重な建物です。
中も見学出来るようなので時間がある方は是非どうど。
多門櫓
旧奈良県立図書館の後ろ側には、追手東隅櫓と多聞櫓があります。
多門櫓がい直線に伸びていて圧巻です。
櫓の中に入る事もでき、確かギャラリーになっていて、写真や絵が飾られていたと思います。
大和郡山城・本丸
天守台
本丸方面に向かうと空堀越しに天守台が見えてきます。
かなり大きな堀で隔てられていて、天守台の石垣が高いです。
天守台は崩落の危険性があった為、平成25年から4年の歳月を掛けて修復されました。
現在は展望施設となっています。
本丸へ向かいます。
本丸へ渡るための土橋は石垣が積まれています。
堀の両側も石垣が積まれていて圧巻です。
この途中に、柳沢文庫があります。
続日本100名城のスタンプがあり、大和郡山城に関する資料も展示されています。
本丸から天守台に登ってみます。
天守台からは堀を隔てて、追手向櫓、追手門、旧奈良県立図書館の建物が見えて、お城の雰囲気が感じられます。
また、天守台の北側には逆さ地蔵なるものがあります。
石垣としてお地蔵様が使われています。
大和郡山城を築く際に石材に乏しかった為、墓石や石臼、五輪塔などを石垣として使用しました。これを転用石といいます。
お地蔵様もその一つと思われます。
実際に石垣の隙間をのぞき込むと逆さになったお地蔵様が見えます。
まとめ
大和郡山城は、秀長が整備した100万石にふさわしいお城でした。
思っていた以上に堀が深く広大で、石垣が随所に使われています。
また、桜の名所でもあるので、桜のシーズンに訪れることをオススメします。
シーズンには臨時駐車場と臨時バスもあるので、確認してから来城すると良いと思います。
大和郡山城ウェブサイト
https://www.city.yamatokoriyama.lg.jp/soshiki/chiikishinkoka/kanko/2/1630.html
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