蕃松院の総門や仁王門、本堂などの見どころを紹介!

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神社、仏閣

長野県佐久市にある蕃松院。

御本尊に釈迦牟尼仏を頂く曹洞宗で本山は永平寺と総持寺で、蕃松院の創建は不明です。

1560年には武田信玄から60貫500文の寄進を受けています。

1580に宝積寺第九世儀山元考大和尚により整備され曹洞宗として開山されました。

1583年に田口城主である依田信蕃は弟信幸と共に岩尾城を攻めた際に戦死しました。

子の松平康国は小諸城主となり、父の追悼供養する為に居館跡に蕃松寺を建立しました。

江戸時代には田野口藩の領内となり、歴代藩主の菩提寺となりました。

1790年に落雷により本堂が焼失し、現在の本堂は1822年に再建されたものとなっています。

現在では田口城下に建立された迫力ある仁王門や本堂、鐘楼が風光明媚な光景となっており、見どころです。

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蕃松院・基本情報、アクセス

所在地:〒384‐0412 長野県佐久市田口2893

御本尊:釈迦牟尼仏

宗 派:曹洞宗

TEL:0267‐82‐6183

ウェブサイト:https://www.city.saku.nagano.jp/kanko/townguide/temp/bansyouin.html

蕃松院・境内

入口

蕃松院入口

蕃松院の入口には石の柱が立てられていて曹洞宗 蕃松院と表示されているので分かりやすいです。

御殿松

御殿松と云われる赤松

参道の右手には御殿松があります。

かつての蕃松院には依田信蕃が植えた3本の大きな松があり、その内の1本はこの場所にありました。

しかし、1883年の大雪により倒れてしまったので、植継の松として龍岡城の御殿にあった松を移植したおがこの松です。

大変立派な松で傘のようになっています。

総門

蕃松院で最も古い建物である総門

御殿松の奥には総門があります。

総門は切妻造りの銅板葺き(以前は茅葺き)の四脚門で、蕃松院で最も古い建物です。

総門に掲げられている扁額には「大梁山」と書かれていて、江戸時代の月舟宗胡禅師の筆のものです。

「大梁山」は依田信蕃の父の戒名に由来しています。

仁王門

蕃松院の顔とも云える程の立派な仁王門

総門の奥には仁王門があります。

仁王門は入母屋造りの瓦葺きの二重門で、明治時代に建立されたものです。

遠くから見てもひと際目立つ大きく迫力がある立派な門で、蕃松院の見どころです。

仁王門の両側には仁王像が安置されている

仁王門に掲げられている扁額には「月照閣」と書かれていて、永平寺を開いた道元禅師の父である久我通親の後裔で東京府知事を務めた久我通久侯爵の筆によるものです。

仁王門の両側には金剛力士(仁王像)が安置されていて、向かって右側には口を開けた阿形、向かって左側には口を閉じた吽形となっています。

本堂

江戸時代に再建された本堂

仁王門のくぐり階段を登ると本堂があります。

本堂は1790年に落雷により焼失した為、1822年に再建されました。

入母屋造りの瓦葺きで間口十三間、奥行きは九間で江戸時代後期の曹洞宗本堂の特色を今に伝えています。

豪快な入母屋造りの屋根の本堂

本堂内にはかつて仁王門の二階に安置されていた十六羅漢像が祀られています。

また、本堂の欄間には近江八景が彫られていて、田野口藩の藩主である大給恒の自伝の軸が寺宝としてあります。

鐘楼

鐘楼と梵鐘

本堂の左手には鐘楼があります。

鐘楼は1848年に建立され、梵鐘は2009年に設置されました。

梵鐘には世界平和や福寿長久、所縁吉祥を祈る言葉が刻まれています。

田口城址への道・依田信蕃公墓所

田口城址への道と依田信蕃公墓所

鐘楼の奥には田口城への道と依田信蕃公墓所への道があります。

田口城へはもうひとつあり、蕃松院の入口のある道路を東へ100m程行くと登り口があります。

あと田口城の北東側から車で行ける林道があるので、そこからも行くことができます。

依田信蕃兄弟の墓

案内板のあった場所を右に行くと依田信蕃公の墓所があります。

依田信蕃は武田信玄、勝頼に仕えていた武将で、1573年の岩村城攻略戦において700の手勢で5000の織田信長の軍勢を破る活躍をしました。

1575年には遠州の二俣城の守将として徳川軍の攻撃を7ヵ月間も防ぐ籠城戦を行いました。

力攻めでは落とせないと判断した徳川軍からの申し入れと、武田勝頼からの甲州へ退却せよとの命もあり、城を明け渡す事になります。

城の明け渡しに際し、城兵の食料を徳川軍に要求し退去日の天候が悪かった為、晴天時に退去できるように日を改めさせ、軍用、礼儀作法正しく城の明け渡しを行い徳川家康を感心させました。

墓所の途中にある瓦

田中城に入ると用水の開発や藤枝堤の築堤、荒地の開発等の民政を行い、徳川軍が田中城を攻めて来た際には徳川軍の攻撃を7度も死守しました。

その後、徳川家康からの再三の申し出により家康に臣従し、佐久諏訪の両郡が与えられました。

1583年に岩尾城に籠る大井行吉を攻撃した際に、弟の信幸と共に戦死しました。

依田信蕃、正に知勇兼備の将です。

まとめ

蕃松院遠景

蕃松院は田口城下に佇む仁王門が一番の見どころです。

戦国時代に活躍した依田信蕃ゆかりの寺で、墓所があるので戦国時代を好きな人にもオススメなお寺で、田口城や龍岡城と一緒に見学すると良いでしょう。

蕃松院ウェブサイト

蕃松院 | 佐久市ホームページ

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