三重県津市美杉町にある霧山城。
南北朝~戦国時代に伊勢国司としてこの地を治めた北畠氏の本拠地です。
多気盆地の中央に居館を構えて政務を執り行うと共に当主の住まいとし、背後の尾根上には詰城と霧山城を築きました。
霧山城は多気盆地の西方の標高560m、比高240mの山頂に築かれ、本丸、矢倉、米蔵、鐘撞堂などの曲輪が設けられました。
現在でも曲輪跡が残り、本丸外周部の土塁や本丸と矢倉跡の間の堀切、鐘撞堂跡の堀切が良好に残されていて、見どころです。
霧山城・基本情報、アクセス
所在地:〒515-3421 三重県津市
城 主:北畠氏
形 式:山城・連郭式
文化財史跡:国指定史跡(多気北畠氏城館跡として)
日本100名城スタンプ:該当なし(多気北畠氏城館は北畠神社社務所にスタンプあり)
霧山城・駐車場
北畠神社の南側に駐車場があります。
10台程停められる広さの無料駐車場です。トイレは駐車場横にあります。
霧山城・御城印
霧山城 御城印 1枚300円
霧山城の御城印が販売されています。
北畠神社の社務所で1枚300円で購入する事が出来ます。
多気北畠氏城館の続日本100名城のスタンプも設置されています。
霧山城・縄張り図
霧山城は麓の北畠氏城館の背後の標高560mの山頂部に築かれた山城です。
本丸を中心とする北曲輪群と鐘撞堂のある南曲輪群に分かれています。
尾根上の最高所に本丸があり、米蔵跡と矢倉跡が直線状に連なっている連郭式の山城となっています。
霧山城・登城口
登城口
北畠神社の鳥居の横にある道を奥に進んで行くと、霧山城の登城口があります。
登城口から本丸までは45~60分程掛かるので、登山の準備をしていく必要があります。
登城道
登城道は比較的に整備されていて、歩き易くなっています。
途中に霧山城への標識が立っているので、道に迷う事はないかと思います。
霧山城・南曲輪(鐘撞堂跡)
霧山城の案内板
登城道を登り切りると鐘撞堂の案内板と霧山城の案内板が見えてきます。
真っすぐ登って行く方が鐘撞堂跡に行く道で、右に下って行く方は本丸のある北曲輪群に行く道です。
鐘撞堂跡からでも北曲輪群に行くことが出来ます。
曲輪内部
南曲輪(鐘撞堂跡)は本丸のある北曲輪群からはやや離れた場所にあり、出丸のような印象を受けます。
鐘撞堂跡は見晴らしが良く風通しが良い場所となっています。
文字通り鐘を突くお堂があったのでしょうか?
堀切
鐘撞堂跡の西側には堀切が築かれています。
鐘撞堂跡の先にも尾根が続いている為、堀切が築かれていて敵の侵入を防いでいます。
堀切は深さが3m程はあり良好に残されていて、霧山城の見どころのひとつとなっています。
霧山城・北曲輪(本丸)
堀切
本丸と矢倉跡の間には堀切が築かれています。
堀切はやや緩やかな傾斜となっていますが、規模が大きいものとなっています。
虎口跡
本丸の東側に虎口跡と思われる場所があります。
虎口への道は本丸横を通る為横矢掛かりとなり、右に折れて本丸に入る事が出来るようになっています。
虎口の両側には土塁が築かれていて人ひとりが通れる幅となっています。
本丸内部(土塁)
本丸は北曲輪群の中心にあり、石碑が複数建てられています。
本丸の周囲には高さ2~3m程の土塁が巡らされていて、地面が波打つ様子を見る事が出来ます。
本丸周囲の土塁は良好に残されていて見どころです。
霧山城・北曲輪(米蔵跡)
本丸の南西側の一段下がった場所に米蔵跡があります。
米蔵跡に遺構は特にありませんが、当時はこの場所に米蔵があったようです。
霧山城・北曲輪(矢倉跡)
曲輪内部
本丸の北東側の一段下がった場所に矢倉跡があります。
矢倉跡は本丸と同等規模の広さの曲輪で、二の丸に相当する曲輪と思われます。
文字通り矢倉が建てられていたと思われます。
景色
矢倉跡の西側は木々がなく視界が開けています。
遠くの山々まで見渡す事が出来て凄く景色が良いですが、柵が一切ないので転落しないように注意が必要です。
堀切
矢倉跡の北側には尾根が続いているので、堀切が築かれています。
堀切は深さが3~4m、幅は2~3m程はあり、両端は竪堀となり斜面を落ちて行っています。
矢倉跡北側の堀切は規模が大きく良好に残されている為、見どころです。
まとめ
【霧山城の見どころ】
・本丸周囲をぐるっと囲む波打つ土塁
・鐘撞堂跡西側に築かれている鋭い堀切
・矢倉跡北側の規模が大きく良好に残されている堀切
ウェブサイト:霧山城跡(多気城)津市観光協会公式サイト
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