亀山城(三重県)のアクセスや本丸多聞櫓、石垣などの見どころを紹介!

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お城

三重県亀山市の伊勢亀山城です。

1265年に関実忠が若山に築城したことに始まり、1573年に関氏が織田信長に追放されるまで居城としていました。

1590年には岡本宗憲が入城し、本丸、二の丸、三の丸を整備し、天守も建てたと云われています。

1636年には、本多俊次が城主となると、お城の外周に堀や水堀を巡らせ、本丸には将軍家旅館として本名御殿、二の丸には城主の居館と政庁を兼ねた二の丸御殿を築きました。

現在では、本丸東南隅に三重県唯一現存する城郭建造物である本丸多聞を初め、侍屋敷遺構加藤家長屋門と土蔵や、石垣や堀、土塁の一部が残されています。

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亀山城・基本情報、アクセス

所在地:〒519‐0152 三重県亀山市本丸町576-1

城 主:関氏、岡本氏、本多氏

形 式:平山城

文化財史跡:県指定史跡

日本100名城スタンプ場所:該当無し

亀山城・駐車場

伊勢亀山城の西側に亀山公園駐車場があります。

20台ほど駐められる無料の駐車場です。

亀山城・二の丸

土塀

二の丸帯曲輪に復元された土塀

伊勢亀山城の北側には二の丸帯曲輪があります。

二の丸帯曲輪は、城主の居館があった二の丸を守る為の曲輪です。

外側から見ると一段高くなった所に、土塀が復元されています。

二の丸帯曲輪の土塀

埋門を降りると、二の丸帯曲輪です。

二の丸帯曲輪の外周には土塀が復元されています。

伊勢亀山城の外回りは全て土塀で囲まれていました。総延長は2.6㎞にも及びます。

当時の土塀の古写真に鉄砲や弓を打つための、狭間が写っていなかった為、この土塀には狭間がありません。

埋門跡

埋門跡

二の丸帯曲輪へは、埋門跡を通過して行く事ができます。

埋門は、半分地下に潜る形で造られた小さな門で、伊勢亀山城にある6箇所の帯曲輪への入口の門として使用されていました。

門の礎石の間には、玉石が敷き詰められている箇所があり、当時埋門の上には二の丸北櫓が建てられて今した。

御殿の礎石

二の丸御殿の礎石

二の丸には二の丸御殿の礎石があります。

当時二の丸には二の丸御殿が建てられていて、城主が居住する為と亀山藩の政庁を兼ねていました。

伊勢亀山城で最も建築物が多く、外周には三階櫓である太鼓櫓、二階櫓である神戸櫓、向屋敷櫓、石坂脇櫓、平櫓である、二の丸北櫓が立ち並んでいました。

櫓群が立ち並んでいた当時は、壮観だったで事でしょう。見てみたかったです。

亀山城・本丸

本丸多聞櫓(県指定文化財)

本丸多聞櫓(県指定文化財)

本丸の石垣上には本丸多門櫓があります。

明治の廃城令により、伊勢亀山城に残されていた建物が取り壊されてしまいますが、本丸多聞櫓は残り三重県で唯一の城郭建築物として、県指定文化財に指定されています。

平櫓ですがL字の形になっていて、平成の修理を終えた事で、壁面の白漆喰総塗籠めが綺麗で印象的です。

本丸多聞櫓(県指定文化財)

本丸多聞櫓の台座になっている石垣もかなりの高さがあり、迫力があります。

野面積みでここまで高いのは、石垣積みの技術が凄いですね。

本丸多聞櫓入口

本丸多聞櫓は内部を見学可能です。

資料も展示されているので、必見です。

亀山城・侍屋敷遺構加藤家長屋門

侍屋敷遺構加藤家長屋門

伊勢亀山城の南には、侍屋敷遺構加藤家長屋門と土蔵があります。

加藤家長屋門は、亀山藩石川家の家老の加藤家の正門です。

江戸時代中期の建物で、男部屋、若党部屋、物見、厩の四部屋で構成されています。

まとめ

本丸多聞櫓(県指定文化財)

伊勢亀山城は、三重県で唯一現存している城郭建築物の本丸多聞が必見です。

また、本丸の石垣や二の丸帯曲輪の土塀も復元されているので、ゆっくり散策してみるのも良いと思います。

亀山城ウェブサイト

 https://www.kankomie.or.jp/spot/detail_4191.html

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