お城の紹介をします。
岐阜県の可児市の美濃金山城(みのかねやまじょう)です。
1537年に美濃の斉藤正義が築いた、鳥峰城が始まりとされます。
長井道利が斉藤正義を謀殺すると、長井氏が城主となりますが、織田信長が美濃に進出すると、家臣である森氏が城主となります。
1600年になると森氏が川中島藩へ転封となると、石川貞清の所領となります。
金山城の天守が犬山城に移築されたと云う説がありますが、犬山城天守の解体修理が行われた際に移築の痕跡がなかった事からこの説は否定されています。
現在では、276mの古城山山頂に築かれた、大手枡形跡などの曲輪跡や石垣が一部残されています。
美濃金山城・基本情報、アクセス
所在地:〒505‐0130 岐阜県可児市兼山
城 主:森氏
形 式:山城
文化財史跡:国指定史跡
続日本100名城スタンプ場所:可児市観光交流館
美濃金山城・駐車場
美濃金山城の南にある山道を登って行くと、蘭丸ふる里の森があるのでこちらの駐車場を利用すると良いでしょう。
無料で20台ほど駐めることができます。
蘭丸ふる里の森
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美濃金山城の南にある、蘭丸ふる里の森に行く途中には門があります。
普通の門として利用するだけでは無く、お城に合うように冠木門風になっているのが良いです。
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蘭丸ふる里の森には、井戸や四阿、トイレなどがあります。
ここから美濃金山城の主要部へ登ります。
美濃金山城・出丸
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登山道を上って行くと、出丸の石垣が見えて来ます。
出丸は本丸を中心とする主要部を守る為の前線基地です。
出丸は石垣で形成されているので、防衛の重要な曲輪だったと思われます。
美濃金山城・三の丸
門跡
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出丸から更に先に進むと、三の丸門跡に着きます。
門を建てるための礎石が残されているので、当時はここに門があり、防備を固めていました。
ここから先が本格的な主要部分になります。
破城された石垣
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三の門跡の横には、破城した石垣の跡があります。
1601年には犬山城主である石川光吉が所領するようになると、美濃金山城の建物を解体し犬山城に資材として利用しました。
その際に美濃金山城は、敵に利用されないように破壊されました。
石垣の一番重要な角の部分を破壊されています。
水の手
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三の丸の先には、水の手があります。
水の手門跡があり道を下って行った先が水の手ですが現在では危険な為、通行することができません。
水の手は城内の貴重な水源だったようです。
石碑
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三の丸には石碑が立てられています。
ちょっと独特な雰囲気があります。
美濃金山城・二の丸
郭内部
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三の丸の隣には二の丸があります。
二の丸は二の丸門、侍屋敷、物見櫓などが建てられていました。
礎石の跡から渡り廊下の建物があったことが、判明しています。
大手桝形跡
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二の丸の先には大手枡形への石段があります。
現在でも石段が残されていて当時の面影があります。
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大手枡形は本丸、腰曲輪の手前に設けらています。
大手枡形は中に入ると右に折れていて、枡形内に侵入した敵を側面や背後から攻撃できるようになっています。
現在でも、四角く石垣が残されているので、枡形の形が分かります。
山城にこのような枡形が綺麗に残っているのは珍しいです。
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大手枡形には入口と出口に門が建てられていました。
当時の門が犬山市瑞泉寺の表門と裏門に移築されていると、伝わっています。
大手門の土台石と寸法が一致しているそうです。
美濃金山城・本丸
天守台南西の石垣
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大手枡形の先には天守台南西の石垣があります。
石を加工しない野面積みの石垣の一部が残され、当時の雰囲気が伝わります。
美濃金山城には天守があった可能性も考えられています。
本丸虎口跡
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本丸の入口には虎口が設けられています。
入って左に折れる枡形虎口になっていて、石垣が少し残されているので、分かりやすいです。
本丸を守る最終防衛機構なので、厳重な造りになっています。
郭内部
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山頂部が本丸になります。
本丸には発掘調査により、四棟の建物の礎石が発見され、瓦、茶陶器も出土しました。
このことから御殿や茶室が有ったと、考えられています。
景色
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本丸からは、城下を一望する事ができます。
周囲を山々に囲まれた、美濃の美しい風景を見ることができます。
美濃金山城・腰曲輪
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本丸の周囲には西、南、東に腰曲輪があります。
それぞれに回って見ると、本丸が石垣で形成されていた事が分かります。
織豊時代のお城造りに影響された為か、石垣が多用されていて当時は立派なお城だった事がうかがえます。
まとめ
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美濃金山城は主要部に石垣や枡形虎口が残る山城で、当時の雰囲気を感じ取る事ができます。
織田信長に仕えた森氏の居城として、綺麗に整備され見学し易いので、ハイキングに最適です。
美濃金山城ウェブサイト
http://kani-sengoku.jp/castle/minokaneyama-castle/
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