神奈川県相模原市にある津久井城。
鎌倉時代に三浦半島に勢力を誇っていた三浦氏の一族である、津久井氏により築城されたと云われています。
戦国時代になると小田原城を居城とする北条氏の勢力下となり、城主は内藤氏が務めていました。
津久井城は甲斐の国境に近く、北条氏の西方の重要な支城として整備されました。
1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの際に、徳川勢の本多忠勝、平岩親吉の軍勢に攻められ、開城しました。
その後、津久井城は廃城となり、徳川領となり陣屋が置かれ統治されました。
現在は津久井湖城山公園として整備され、本城曲輪の土塁や太鼓曲輪の堀切、飯縄曲輪の堀切などが残され見どころとなっています。
津久井城・基本情報、アクセス
所在地:〒252‐0153 神奈川県相模原市緑区根小屋
城 主:津久井氏、内藤氏
形 式:山城、連郭式
文化財史跡:ー
日本100名城スタンプ:該当なし
津久井城・御城印
津久井城 御城印 1枚300円
津久井城の御城印が販売されています。
「津久井湖観光センター」で1枚300円で購入する事が出来ます。
「津久井湖観光センター」の前には無料駐車場もあるので、利用しやすいです。
津久井城・駐車場
津久井城の南西側に「根古屋駐車場」があります。
50台程停められる無料駐車場で、開場時間は8:00~19:00となっています。
トイレは公園内にあります。
津久井城・縄張り図
津久井城見取図(現地案内板より)
津久井城は北方に武蔵国、西方に甲斐国に接しる相模国北西部に位置し、八王子道、甲州街道に達する津久井往還に近く、水運ルートである相模川が通っている交通の要衝に築かれています。
標高375mの山頂の西峰に本城曲輪、太鼓曲輪の主要部があり、東峰に飯縄曲輪と小曲輪群があり、尾根上には3つの大きな堀切で区切られています。
山麓部の平地の根古屋には、城主の館や家臣の屋敷が構えられていました。
津久井城・陣屋跡
津久井湖城山公園パークセンター
江戸時代、津久井城の南西側には陣屋が置かれ、代官が在城していました。
現在は「津久井湖城山公園パークセンター」があり、津久井城に関する資料が展示されています。
津久井城のジオラマやパンフレットがあるので、最初に寄っておきたい場所です。
牢屋の沢
陣屋跡には牢屋の沢と云われる場所があります。
江戸時代初期に陣屋に代官がいた時に使用された、牢屋があったとされています。
橋よりも上流にあったと云われ、戦国時代には堀として利用されていました。
津久井城・御屋敷跡
津久井城の南側には御屋敷跡があります。
城主の内藤氏が館を構えた場所で、発掘調査により深さ2.5mの堀や半地下式の蔵などが確認されています。
御屋敷跡の北側に行くと津久井城の山頂部へ登る為の道があります。
少し登ると分かれ道があり、やや急だが距離が短い男坂となだらかだけど距離が長い女坂があります。
女坂は途中崖になっている場所があり、男坂がオススメとなっています。
津久井城・太鼓曲輪
堀切
男坂を登って行くと太鼓曲輪と飯縄曲輪の間の堀切部分に到達します。
堀切は規模が大きく現在は緩やかな窪地となっていますが、津久井城を東西に仕切るものとなっていました。
家老屋敷
太鼓曲輪の南側には家老屋敷跡があります。
家老屋敷跡は城主の御屋敷跡よりも狭く小さな曲輪で、石垣が残されていると情報がありましたが、見受けられませんでした。
斜面に石が散乱していた場所があったので、もしかしたら崩れてしまったのかも知れません。
太鼓曲輪内部
太鼓曲輪は本城曲輪の東側にある細長い曲輪です。
本城曲輪と飯縄曲輪を結ぶ重要な曲輪となっていて、二の丸に匹敵する場所と思われます。
堀切
太鼓曲輪と本城曲輪の間には堀切が築かれています。
堀切は深さが3m、幅が4~5m程はあり、両側も斜面が削られています。
当時は引橋と呼ばれる簡易的な橋が架けられていて、敵が攻め込んできた時に橋を外して防いだと考えられています。
太鼓曲輪と本城曲輪の間の堀切は良好に残されていて見どころです。
津久井城・本城曲輪
土蔵跡
本城曲輪の東側の下段には土蔵跡があります。
土蔵跡は小さな曲輪となっていて文字通り土蔵があったと思われます。
本城曲輪の西側下段には米蔵跡もあります。
米曲輪
本城曲輪の南側にはコの字型の米曲輪があります。
米曲輪には津久井城の説明板が設置されていて、津久井城の遺構や曲輪の名前が絵図で分かるようになっています。
土塁
本城曲輪は津久井城の最高所にあり、本丸(主郭)と云える場所です。
本城曲輪の南側には高さ2m程の土塁が残されていて、築井古城記碑が立てられています。
本城曲輪に築かれているL字型の土塁は貴重な遺構で見どころです。
津久井城・飯縄曲輪
飯縄神社
太鼓曲輪の東側の尾根には飯縄曲輪があります。
飯縄曲輪は津久井城の東部の主要な曲輪で、現在は飯縄神社が建立されています。
烽火台(鐘撞堂)
飯縄曲輪の南東側には烽火台または鐘撞堂があったと云われています。
戦国時代に情報を周囲に知らせる為に烽火を上げて伝えていて、雨の日や夜には鐘や法螺貝などにより音で伝えられていました。
宝ヶ池
飯縄曲輪の東側には宝ヶ池があります。
江戸時代の「新編相模風土記稿」には「日照りでも雨が続いた年でも、いつでも安定して水をたたえている」と書かれていて、津久井城の貴重な水源であったと思われます。
津久井城には宝ヶ池の他にも、本城曲輪北側と御屋敷跡でも井戸跡が見つかっていて、水に恵まれた堅ろうな城郭であった事が分かります。
堀切
飯縄曲輪の東側には堀切が築かれています。
堀切の両側を削り人が一人通れるだけの細い土橋が造られていて、現在でも渡るのが危険な場所となっています。
津久井城の山頂部の尾根上には大きな堀切が3ヵ所築かれていますが、この飯縄曲輪東側の堀切は一番鋭く良好に残されていて見どころです。
鷹射場
飯縄曲輪の東側尾根の先には鷹射場があります。
鷹射場は小さな曲輪で少し離れた場所にあるので、出丸のような機能があるのかも知れません。
まとめ
【津久井城の見どころ】
・太鼓曲輪と本城曲輪の間に築かれ、引橋が架けられていたと云われる堀切
・飯縄曲輪東側に築かれ良好に残されている堀切と土橋と竪堀
・本城曲輪南側に残るL字型の土塁
ウェブサイト:神奈川県立 津久井湖城山公園
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