茨城県桜川市にある真壁城。
1172年に真壁長幹が築城し、真壁氏代々の居城となります。
加波山系の足尾山西麓にある台地上に築かれた平城で、本丸を二の丸が囲み、南東側に中城、外曲輪が築かれ、城の南北は湿地帯となっています。
1423年、真壁慶幹の時に小栗満重の乱の際に小栗方に与した為、足利持氏軍により攻められ落城しますが、従兄弟の朝幹が真壁に復権します。
1569年に真壁久幹は手這坂合戦で小田氏治の軍を手這坂の山岳に誘い込み、鉄砲を駆使し撃退し、小田城を占拠します。
1602年に佐竹氏は秋田に転封となり、真壁氏は佐竹氏の家臣となっていた為、共に出羽角館に赴きました。
1606年に浅野長政が隠居地として真壁藩5万石を与えられ、跡を継いだ浅野長重が入城しました。
1622年に浅野長重は加増され笠間城に移り、真壁城は廃城となります。
現在城跡は、発掘調査を基に空堀や土塁、虎口などが復元され国の史跡に指定されています。
本丸の空堀や中城の南西虎口、南東虎口、空堀、外曲輪の南虎口、現存土塁が見どころです。
真壁城・基本情報、アクセス
所在地:〒300-4407 茨城県桜川市真壁町古城377
城 主:真壁氏、浅野氏
形 式:平城・連郭式
文化財史跡:国指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
真壁城・駐車場
真壁城の西側に真壁体育館の駐車場があります。
65台程停められる大きさの無料駐車場で、トイレは体育館にあります。
また、堀を挟んだ東側の二の丸には真壁城見学者専用の駐車場があります。
真壁城・御城印
真壁城 御城印 1枚300円
真壁城の御城印が販売されています。
真壁城から西へ500~600m程の所にある「真壁伝承館」で1枚300円で購入することができます。
「真壁伝承館」では無料の歴史資料館があり、真壁城に関する資料が多数あるので、必見です。
【真壁伝承館】
真壁城・縄張り図
真壁城は筑波山系から延びる尾根の微高地に築かれた平城で、北側は田中川、南側には山口川が流れ天然の堀となっています。
本丸を中心にして二の丸が外周部を囲み、東側に中城と外曲輪が築かれています。
また、城の西側に城下町が形成され、現在でも趣のある町並みが残されています。
真壁城・本丸
Iの堀
本丸の外周は堀に囲まれています。
堀の深さは4m程ですが当時は6mあったと云われ、幅は20~30mある大きなもとなっています。
ちなみに現在本丸東側にある二の丸との土橋は当時の遺構ではなく、工事用に近年に造られたものです。
真壁体育館がある辺りにかつて本丸がありました。
本丸は東西100m、南北150m程の広さの郭で、城主が居住し政務を行っていたと考えられています。
真壁城・二の丸
本丸の外周を囲むように二の丸が築かれています。
当時の二の丸の外周部には堀と土塁が築かれていましたが、現在は西側は埋め立てられています。
二の丸の東側に中城を結ぶ東虎口跡があります。
真壁城・中城
南東虎口
中城の南東側に南東虎口があります。
中城の外周部にはⅢの堀が築かれ、外曲輪と中城を結ぶ土橋(当初は木橋)が架けられています。
土橋の右側には中城の櫓台があり、横矢が掛けられるようになっていて、更に土橋を渡り切っても右に折れた道は中城からも横矢が掛けられるようになっていて厳重な虎口となっています。
中城の南東虎口は空堀や土塁が効果的に組み合わせれていて、虎口の厳重さを体感でき、真壁城一番の見どころです。
先ほどの土橋と右に折れた道の先には門跡があります。
発掘調査によりこの場所に門跡があった事が確認されていて、横矢が掛けられた厳重な道な先に門があるのでいかに厳重であったかが分かります。
これだけきれいに復元されていると分かり易くて良いです。
空堀
中城の東側にⅢの堀が築かれています。
Ⅲの堀は深さが5~6m、幅が20~30m程あり、折れを伴ったものとなっていて横矢が意識されています。
広大でクネクネと折れたⅢの堀は壮観で、見どころです。
会所跡
中城内は発掘調査により、礎石建物跡、掘立柱建物跡、茶室跡、能舞台跡、大きな池の跡などが確認されています。
また、お酒を飲むための「かわらけ」や抹茶を飲む天目茶碗、お茶をひく石臼などが出土されていて、当時は酒宴や文化交流が行われていたと考えられています。
南西虎口
中城の南東には虎口が復元されています。
虎口は空堀に木橋が架けられていて、渡った先には土塁が両側に立ちはだかり侵入者を防いでいます。
大きな空堀に架かる橋や櫓台を伴った土塁が復元されている、南西虎口は見どころです。
南西虎口は土塁により道が折れていて、横矢が掛けられるように喰違い虎口となっています。
当時は土塁の間に門があったと思われ、防御の硬い虎口であった事が分かります。
空堀(Ⅲの堀)
南西虎口にある櫓台の上に登る事ができます。
櫓台からは虎口の様子が良く分かる上に、中城南側の空堀や土塁が折れを伴っている様子が一目で分かります。
横矢が意識された複数の折れがある中城南側の空堀と土塁は見どころです。
真壁城・外曲輪
南虎口
外曲輪の南側には南虎口が復元されています。
南虎口は外曲輪側からだと土塁により右に直角に折れるようになっていて、外桝形虎口と云われる形式になっています。
両側の土塁も高く、城内側は外曲輪よりも低くなっている為、土塁が一層高く感じます。
鹿島神社
外曲輪は中城の東側にある真壁城で最も広い曲輪です。
発掘調査により外曲輪からは武家屋敷、居館などの柱穴や井戸、陶磁器などが確認されています。
外曲輪の南東部には鹿島神社があり、真壁氏も厚く信仰していたと云われています。
現存土塁
鹿島神社の境内奥には外曲輪の土塁が現存しています。
土塁の高さは3~4m程はあり、外側の堀と合わせると7m程の深さがあると云われています。
土塁は一段高くなった場所があり、物見櫓が建てられていたと考えられています。
外曲輪東側の土塁は貴重な現存する遺構となっているので、見逃さないようにしましょう。
Ⅳの堀
外曲輪の北、東、南側には空堀が築かれています。
空堀の深さは6~7m、幅は10m以上はあるかと思われ、大きなものとなっています。
外曲輪の東側には東虎口が築かれ、当時は木橋が架けられていた事が発掘調査により判明しています。
北虎口
外曲輪の北側には北虎口があります。
北虎口は平虎口となっていますが、外曲輪の土塁が張り出しているので横矢が掛けられるようになっています。
北虎口の北側には真壁家臣団が居住した五味田と云われる集落があり、田中川は川の流れが変えられ、堀として利用されていたと考えられています。
まとめ
【真壁城の見どころ】
・中城の横矢が意識された厳重な南東虎口
・中城の折れが多用された空堀と土塁と南西虎口
・外曲輪の鹿島神社裏手に残る現存の土塁
ウェブサイト:国史跡 真壁城跡 桜川市観光協会
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