茨城県笠間市にある笠間城。
鎌倉時代に笠間時朝が1219年~1235年にかけて築城し、笠間氏代々の居城となりました。
1590年の秀吉による小田原征伐の際に主家である宇都宮氏に反して北条氏方に付いた為、宇都宮氏に攻められて笠間氏は滅亡しました。
1598年に蒲生秀行が宇都宮に移封されると、重臣である蒲生郷成が笠間城主となり、天守曲輪や城下町を整備しました。
1600年の関ヶ原の戦い後は譜代大名である松平康重が城主となりました。
1622年からは浅野長重、浅野長直が城主となり、現在につながる城下町が形成されました。
1747年には牧野貞通が城主となり、以後は牧野氏が明治の廃藩まで領主となりました。
現在では天守曲輪の石垣や本丸の土塁、天守曲輪と本丸の間の堀切、本丸虎口の石垣などが残され見どころとなっています。
また、市内の真浄寺には笠間城内の八幡台櫓が移築されていて、見どころとなっています。
笠間城・基本情報、アクセス
所在地:〒309-1611 茨城県笠間市笠間3616
城 主:笠間氏・蒲生氏・浅野氏・牧野氏
形 式:山城
文化財史跡:市指定史跡・県指定文化財(笠間城櫓)
続日本100名城スタンプ:かさま歴史交流館 井筒屋
笠間城・駐車場
笠間城の北側の千溜まり(的場丸)に専用駐車場があります。
20~30台程は停められる広さの無料駐車場です。
トイレはないので麓の下屋敷跡、笠間稲荷駐車場にトイレがあるのでこちらを利用しましょう。
笠間城・御城印
笠間城の西側に「かさま歴史交流館井筒屋」があります。
「かさま歴史交流館井筒屋」では笠間城に関する展示があり、笠間城のジオラマもあるので登城前に必見です。
笠間城 御城印 1枚300円
笠間城の御城印が販売されています。
「かさま歴史交流館井筒屋」の1F観光インフォメーションで1枚300円で購入する事が出来ます。
御城印は家紋バージョンと櫓バージョンの2種類が販売されています。
【かさま歴史交流館井筒屋】
笠間城・縄張り図
笠間城は笠間盆地を見下ろす標高205mの佐白山に築城された山城です。
浸食谷が複雑に入り組む地形を利用し、本丸から段状に二の丸、三の丸(帯曲輪)が連なり、大手門の先には的場丸が配置されています。
本丸よりも高所の独立した場所に天守曲輪があり、天守が築かれていました。
笠間城の西側の麓には浅野氏時代に整備された下屋敷があり、藩庁として機能していました。
笠間城・下屋敷跡
鐘楼(時鐘:市指定有形文化財)
笠間城の西側の麓には下屋敷跡があります。
下屋敷は浅野長直が藩主の時に藩庁とする為に整備された場所で、現在は鐘楼が建てられています。
鐘楼の時鐘は1778年に笠間藩領真壁郡の小田部家が鋳造したもので、高さ142㎝、直径74.8㎝の大きさとなっています。
大石邸跡
下屋敷の近くには大石邸跡があります。
忠臣蔵で有名な大石内蔵助良雄の曽祖父良勝と、祖父良欽が住んでいた場所です。
浅野氏の家老であった大石氏は下屋敷に近いこの場所に屋敷を与えられ、1645年に浅野氏が赤穂へ国替えとなりますが、その後の笠間藩主もこの場所を家老に与えていました。
笠間城・的場丸
登城口
的場丸の奥に登城口があります。
登城口の先には堀切があったと思われる跡があり、周囲には小さな石垣も見受けられます。
登城口から本丸までは15~20分、天守曲輪までは25~30分ほどで行く事ができます。
大手門跡
登城口の先に大手門跡があります。
大手門は左に折れ曲がる形となっていて、当時は門が建っていたと思われます。
石垣
大手門跡の右手には石垣が残されています。
石垣は高さが2~3m程あり、野面積みのような荒々しく積まれています。
大手門跡の笠間城の貴重な石垣は、草に覆われているので見逃さないようにしましょう。
笠間城・本丸
虎口
大手門跡の先の道を進んで行くと本丸の虎口跡に着きます。
本丸北東側の虎口には割石を使用し、整然と積まれた石垣が築かれています。
本丸北東虎口に積まれた高さ2m程の石垣は、良好に残されていて見どころです。
本丸北東の虎口は石垣と石段により右、左へと折れる形となっていて、容易に本丸へ侵入する事が出来ないようになっています。
横矢掛かりを意識した高低差のある虎口は見ごたえがあります。
本丸内部
北東側の虎口の先に本丸があります。
本丸には絵図を見ると御殿や八幡台櫓、宍ヶ崎櫓、城門が描かれていて、実際に城門や櫓の礎石が確認されています。
また、曲輪の周囲には白壁の土塀が巡らされている様子が絵図に描かれています。
土塁
本丸の南側には土塁が残されています。
土塁は高さが5~6m、上部の幅が4~5mもある巨大なものがあり、頂部には東屋が建てられています。
本丸南側の迫力ある土塁は見どころです。
八幡櫓台跡
本丸南側に土塁上には八幡台櫓跡があります。
八幡台櫓跡の部分のみ本丸内側に出っ張っていて、本丸の北西側と南東側を分割しています。
この場所にあった八幡台櫓が市内の真浄寺に移築されています。
笠間城・天守曲輪
堀切
本丸の東側に天守曲輪へと続く道があり、土橋と堀切が築かれています。
土橋の両側は堀切により深く削られて斜面を落ちて行き、天守曲輪へと侵入する敵を阻んでいます。
土橋は良好に残されていて、幅広い堀切は迫力があり見どころです。
天守曲輪へと続く道には石段が築かれています。
石段の周囲には大きな石が多数あり、笠間城の最深部へと近づいている雰囲気を感じとる事ができます。
石垣
天守曲輪には石垣が残されています。
天守曲輪の石垣は高さが4m程あり、割石を使用した打込み接ぎと云われる積み方となっています。
隅部は長辺と短辺を交互に組み合わせた算木積みとなっていて、花崗岩が使用されています。
天守曲輪の石垣は笠間城で最大の大きさとなっていて、迫力があり見どころです。
佐志能神社
天守曲輪は蒲生郷成が城主となった時に整備された曲輪で、現在は佐志能神社が建立されています。
現在は東日本大震災の影響で立ち入り禁止となっています。
真浄寺・笠間城櫓(県指定有形文化財)
笠間城から北西に1㎞程行った所にある真浄寺には、八幡台櫓が移築されています。
真浄寺には4~5台程の駐車場もあります。
八幡台櫓は笠間城の本丸にあった二重櫓で、1880年に當山寺号の復活の年壇頭園部清兵衛等の尽力により移築されました。
現在は真浄寺の七面堂として利用されていますが、ほぼ原形を留めていて櫓そのものとなっています。
真浄寺の八幡台櫓は笠間城の貴重な城郭建築物で、見どころです。
まとめ
【笠間城の見どころ】
・天守曲輪に築かれている城内最大級で高さ4mの石垣
・天守曲輪と本丸の間にある土橋と幅広く深い堀切
・本丸南側に残されている高さ5~6mの大規模な土塁
・本丸北東側虎口に築かれている石垣と折れ曲がる石段
・市内の真浄寺に移築されている、笠間城の貴重な現存城郭建築物である八幡台櫓
ウェブサイト:笠間城跡|笠間市公式ホームページ
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