兵庫県姫路市の姫路城です。
戦国時代に羽柴秀吉が姫山に三重の天守を建てて、近世城郭として改修しました。
1600年に池田輝政が入城し、徳川家康の娘婿であることから徳川家の後押しを得て、9年の歳月を掛けて大改修を行い五重六階地下一階の大天守と三基の小天守を中心に、城内の櫓、城門等を建てました。
1617年に池田氏が鳥取へ移封されると本多忠政が城主となりました。
1618年には本多忠刻に嫁いだ徳川秀忠の娘である千姫の為に西の丸を増築し、現在残る姫路城が完成しました。
江戸時代には親藩や譜代大名などに目まぐるしく城主が変わり、幕末の鳥羽伏見の戦いの際には新政府軍に包囲されますが、摂津の豪商の献金、姫路藩家老の開城の決断により総攻撃が行われる事無く降伏しました。
太平洋戦争の際には姫路城を爆撃を防ぐ為に、黒く染めた網を掛けて城の主要部分を覆い隠しました。
1945年の姫路空襲で城下は焼き尽くされ、天守にも着弾しましたが幸いにも不発であった為、焼失する事はありませんでした。
1993年に世界遺産に認定され、さらに大天守、小天守等8件が国宝に指定され、重要文化財が74件もある、日本を代表する名城です。
姫路城・基本情報、アクセス
所在地:〒670-0012 兵庫県姫路市本町68
城 主:豊臣氏、池田氏、本多氏、松平氏、榊原氏、酒井氏
形 式:平山城
文化財史跡:国指定特別史跡、国宝8件(大天守、東、西、乾小天守、イ、ロ、ハ、ニの渡櫓)重要文化財74件
日本100名城スタンプ場所:大天守改札横
姫路城・駐車場
姫路城の南に大手門駐車場があります。
有料ですがお城に近く、555台駐められる大きな駐車場です。
姫路城・三の丸
桜門橋
姫路城の南に内堀に架かる桜門橋があります。
桜門橋は2007年に建てられたもので、戦国時代や江戸時代に建てられたものではありません。
内堀越しに大天守が見えるので、この時点で早速テンションが上がります。
【姫路城】
所在地:〒670-0012 兵庫県姫路市本町68
開城時間:9:00~16:00(閉門は17:00)
入城料:大人(18歳以上)1000円・小人(小中高校生)300円
休城日:12月29日、30日
大手門
桜門橋を渡り切ると大手門があります。
大手門は1938年に建てられたもので、こちらも戦国時代や江戸時代に建てられたものではありません。
それでも雰囲気は良いですね。
大天守、西小天守(三の丸から見る)
大手門を通り抜けると三の丸になります。
三の丸はかなり大きな曲輪で、正面に天守群を見ることができます。
堂々と立っている大天守が圧巻です。
姫路城・西の丸
「ワ」の櫓と「カ」の櫓(共に重要文化財)
西の丸の南には、「ワ」の櫓と「カ」の櫓があります。
どちらも現存する二重二階の櫓で、隅部に石落としが付属していて、白漆喰で塗られているのが特徴的です。
姫路城の序盤で現存の櫓があり驚きです。
一般的なお城だと、一基重要文化財の櫓があれば凄いのに、姫路城はさっそく二基もあります。
化粧櫓(重要文化財)
西の丸には、化粧櫓、「ヌ」の櫓、長局、「ヲ」の櫓、「ル」の櫓があります。
いずれも現存する櫓で、重要文化財に指定されています。
これら櫓は連結されていて、百間廊下と呼ばれ、内部を見学する事ができます。
一部は石垣から建物がせり出した、掛け造りや二重二階の櫓になっている場所もあり特徴があります。
西の丸は本多忠政が増築したもので、嫡男忠刻に嫁いだ徳川秀忠の娘の千姫と、奥女中が生活する場所です。
乾小天守、西小天守、大天守(西の丸から見る)
西の丸は一段高くなった場所にあるので、遮る物がなく大天守、西小天守、乾小天守を見ることができます。
姫路城でも屈指のビュースポットとなっていて絶景です。
五重六階地下一階の大天守に三重の西小天守、乾小天守、東小天守が渡り櫓で四角く連結された、連立式の天守群は必見です。
連立式の天守群は松山城もありますが、全て現存する建物で連立式の天守群があるのは、姫路城が唯一です。
姫路城・二の丸
菱の門(重要文化財)
二の丸の入口には菱の門があります。
菱の門は現存する櫓門で、姫路城で最大の大きさです。
門の冠木部分に菱の紋があることから菱の門と呼ばれ、櫓部分には金の装飾が施された花頭窓、格子窓があり格式高い門です。
菱の門がある虎口は左、右へと折れていて、敵を側面攻撃できるように縄張りされ、防御に抜かりもありません。
三国堀
菱の門を抜けると、三国堀があります。
三国堀には水が湛えられていて、堀越しに天守群を見ることができます。
姫路城を代表するビュースポットですね。
姫路城を建てた池田輝政が播磨、淡路、備前の三国を治めていたことから、三国堀と呼ばれています。
「い」の門(重要文化財)
三国堀を真っ直ぐ進むと、「い」の門があります。
現存する高麗門で、両側の石垣上の土塀が設置され狭間が切られているので、小さい門ですが魅力的です。
「ろ」の門(重要文化財)
「い」の門の先には「ろ」の門があります。
現存の高麗門で、ここも両側の石垣の上に土塀が建てられていて、狭間から攻撃できるようになっています。
「は」の門(重要文化財)
「い」の門、「ろ」の門を通り抜けると、天守群を西側から見ることができます。
時代劇でもおなじみのビュースポットです。手前の土塀が奥行きがあり、面白い構図です。
奥には「は」の門があります。
現存する櫓門で、櫓部分の正面に格子窓があるのが特徴的です。
ここの道は何度も道が折れ曲がり、複雑な縄張りになっています。
敵が侵入し辛いように、道を折れ曲げ土塀や門をいくつも設置する事で防御力を高めています。
「に」の門(重要文化財)
「は」の門の先には「に」の門があります。
こちらも現存する櫓門で、門全体に鉄板が張られていて厳重な造りになっています。
門内は櫓の下を通る道になっていて、右へ折れ曲がっています。
櫓の下の床を外せば、敵の頭上から攻撃出来るようになっていて、鉄壁の守りになっています。
乾小天守(国宝)
「に」の門を通り抜けると、乾小天守が前面に見えます。
乾小天守は現存する三重四階地下一階で、国宝に指定されています。
最上階には金の装飾が施された花頭窓があり、屋根の一部を曲げた軒唐破風があり、意匠に富んでいます。
乾小天守の東には「ロ」の渡り櫓、南には「ハ」の渡り櫓が接続していて、大天守に次ぐ大きさの天守です。
水の一門と築地塀(共に重要文化財)
先へ進むと築地塀が見えて来ます。
築地塀は油壁とも呼ばれていて、粘土に砂利と米のとぎ汁を混ぜて造られた塀で、秀吉時代も物と云われていますが、ハッキリとは分かっていません。
白漆喰の土塀の中にここだけに築地塀があるので、異色な雰囲気がします。
姥ヶ石
乾小天守の石垣の中に姥ヶ石があります。
姥ヶ石は秀吉が姫路城を築城する際に、石不足の為城下の人々に石を募集した所、貧しい老婆がこの石臼を提供してくれました。
喜んだ秀吉はこの石臼を天守台の土台に使用すると、この話が城下に広まり人々が石をたくさんの石を提供してくれた事で、石不足が解消されたと云われています。
伝説的な話ですが、面白い内容ですね。網で保護されているのが良いです。
水二の門(重要文化財)
水の一門からは水の二門、水の三門、水の四門まであり、防御力を高めています。
各区画が狭く、門や櫓で囲まれていて、天守目前の最後の防衛網です。
門が開いていても人が密集しているので、各門が閉められていたら、袋のねずみ状態で三方向から攻撃されてしまいます。
天守入口
水の一門~四門を抜けると、ようやく天守の入口に辿り着きます。
天守内部は現存のため木造で趣があり、資料も展示されているので、見応えがあります。
大天守最上階には「刑部神社(長壁神社)」があり、戦時中でも延焼しなかった事から防火の災害の神様とされ、たくさんの人が参拝しています。
姫路城・本丸(備前丸)
西小天守と大天守(本丸から見た)
天守内部を見学し終わると、備前丸に出てきます。
備前丸からは大天守と西小天守を正面に見ることができます。
大天守は一見すると左右対象のように見えますが、二階部分の西側が引っ込んでいて、規則正しく逓減していません。
一階部分と二階部分の格子窓を見ると、ズレているのが分かります。
こうした違いを見つけるのも面白いですね。
折廻櫓(重要文化財)
大天守の東には折廻櫓があります。
現存する二重櫓で、天守台の石垣と備前門に接続していて、L字に折れています。
当時は天守台に沿うように櫓が続いていたようですが、明治時代に取り除かれてしまいました。
備前門(重要文化財)
折廻櫓に接続しているのが、備前門です。
備前郭の入り口となる、現存の櫓門で、櫓部分は折廻櫓と繋がっています。
池田家が城主だった時には、備前郭に居館があったこともあり、備前門の門扉には鉄板が打ち付けられていて、厳重な防備になっています。
「り」の門(重要文化財)
備前門の先には「り」の門があります。
現存する高麗門で、姫路城で唯一、池田輝政時代以前に建てられた門です。
小さな門ですが、石垣の間に建てられていて、防御力を高めています。
まとめ
姫路城は連立式の天守群を初め、現存の城郭建造物の数が圧倒的に多く、当時のお城の様子が非常に分かりやすいです。
これだけの現存の建造物があるのは奇跡で、日本のお城の魅力が詰まっています。
お城好きではなくても必見の、日本が世界に誇る貴重な遺産です。
姫路城ウェブサイト
https://www.city.himeji.lg.jp/castle/
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