岐阜県岐阜市にある加納城。
1601年に大坂城の豊臣氏に備える為に徳川家康が築城を命じました。
縄張りは徳川家康、普請奉行は本多忠勝が行ったと云われ、近隣の大名を動員した天下普請で築かれました。
本丸、二の丸が完成すると徳川家康の娘亀姫の婿である、奥平信昌が10万石で入城しました。
二の丸北東隅には岐阜城の天守を移築した三階の隅櫓があったとされますが、1728年に焼失してしまいます。
その後江戸時代を通して奥平氏3代、大久保氏1代、戸田氏3代、安藤氏3代、永井氏6代と譜代大名が続き明治維新を迎えると廃城となります。
現在では本丸が加納公園として整備され、本丸の石垣、土塁、堀跡が残され見どころとなっています。
加納城・基本情報、アクセス
所在地:〒500‐8485 岐阜県岐阜市加納丸之内7
城 主:奥平氏、大久保氏、戸田氏、安藤氏、永井氏
形 式:平城
文化財史跡:国指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
加納城・駐車場
加納城の南側に加納公園駐車場があります。
30台ほど止められる広さの無料駐車場です。駐車場が開放されている時間帯が決まっているので、注意が必要です。
トイレは加納公園に2ヵ所、付近にも2ヵ所あります。
【加納公園駐車場】
開放時間
5月~9月:7:30~19:00
10月~4月:8:30~17:00
加納城・縄張り図
加納城は岐阜城から5㎞ほど南に離れた平地に築かれています。
東側と南側に荒田川、北側に清水川、西側に長刀堀に囲まれた平城で、本丸を中心にして東側に二の丸、二の丸の北側に三の丸、本丸の北側に厩曲輪、南側に大藪曲輪が配置されています。
二の丸から本丸に入る入口は桝形虎口となっており厳重な縄張りとなっています。
加納城・本丸
虎口跡
現在の本丸には南側と北側に入口が設けられています。
南側の入口は当時の虎口を利用したものとなっており、縄張り図を見ると桝形虎口となっていたことが分かります。
北側の入口は近年に改変された入口となっています。
空堀跡
本丸の南側には空堀跡があります。
現在の空堀は深さが3~4m、幅が10m程あり大規模なものとなっています。
当時の加納城は全ての曲輪の間には空堀で仕切られ、横矢掛かりを考慮した縄張りとなっているので、平城とはいえ堅固なお城であったと想像できます。
郭内部
現在本丸は加納公園となっていて、広場が設けられています。
本丸の東側にあった大手桝形では櫓門の礎石や雨落溝が発見されています。
また、本丸大手北堀では堀底に畝を設けた障子堀も発見されています。
土塁
本丸の外周部には土塁が残されています。
土塁の高さは3~4m程あり、全周に渡り良好に残されているので、加納城の見どころの一つとなっています。
北西には天守台と伝わる場所もあります。
石垣
本丸の外側の外周部には石垣が残されています。
石垣の石は岐阜市の山で採れたチャートを使用しており、石を加工しない「野面積み」と云われる技法で築かれています。
また、石と石の間には河原石が詰められています。
石垣の隅部は石の長辺と短辺を交互に積む、「算木積み」と云われる技法で築かれており、隅部の強度を高める効果があります。
野面積みの荒々しさと隅部の精工な算木積みとの組合わせが特徴的です。
本丸の石垣高さが4~5m程あり、ほぼ全周に渡り良好に残されているので、加納城一番の見どころです。
特に加納公園の駐車場の東側にある本丸南東側の石垣は折れがあるので、見応えがありオススメの場所となっています。
本丸内部側から土塁の上に登れる場所があります。
土塁の上から本丸の石垣を見下ろす事もできるので、また一味違った石垣の印象を受けます。
夏場は石垣に草が生い茂っているので、草が枯れる冬に訪れると石垣をハッキリと見ることができると思います。
まとめ
加納城は本丸外周部に築かれている石垣と土塁が見どころです。
岐阜城を廃止し、江戸時代にはこの加納城が美濃国の中心地であった場所で、天下普請で築かれた石垣は迫力があります。
また、市内のしらかわ代官屋敷には加納城の二の丸にあった門が移築されているので、こちらも時間があれば見ておきたい所です。
岐阜県のオススメのお城
コメント