福井県福井市の福井城です。
1575年に織田信長の重臣、柴田勝家が北ノ庄城を築いた事に始まります。
その後、柴田勝家は羽柴秀吉と対立し、賤ヶ岳の戦いに敗れるとお城は焼失し自刃します。
1600年に徳川家康の二男である、結城秀康が入封し翌年から北ノ庄城を元に築城します。
日本全国の大名を動員した、天下普請で6年の歳月を掛けて築かれ、本丸には四重五階の天守が建てられました。
1624年、福井3代藩主の松平忠昌の時に北ノ庄から福居(福井)に改名されました。
1669年に天守が焼失し、以後再建される事はありませんでした。
現在では、本丸の石垣、水堀、天守台や福井の地名の元となった「福の井」が残されています。
近年では御廊下橋や山里口御門が復元され見どころとなっています。
福井城・基本情報、アクセス
所在地:〒910-005 福井県福井市大手
城 主:結城氏、松平氏
形 式:平城
文化財史跡:なし
続日本100名城スタンプ場所:福井県庁一階受付(開庁日の8:30~17:15)
福井城・駐車場
福井城の北に福井市立郷土歴史博物館があるので、博物館を利用してこちらの駐車場に車を駐めるのが良いかと思います。
福井城の南西側に「福井市大手駐車場」があります。
264台停められる広さの有料駐車場で、最初の30分は無料、以後30分毎に100円となっています。
福井城・御城印
福井城 御城印 1枚500円
福井市立郷土博物館には福井城の御城印も販売されています。
1枚500円で購入する事が出来ます。
また、重ね押し御城印スタンプラリーという福井城に関する場所を巡りスタンプを押して御城印を完成させるものもあります。
【福井市立郷土博物館】
所在地:〒910-0004 福井県福井市宝永3丁目12-1
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
入館料:一般220円・中学生以下と70歳以上は無料
休館日:年末年始・展示替えや館内整備の日(要ウェブサイト確認)
ウェブサイト:福井市立郷土博物館
福井城・舎人門
博物館に隣接して舎人門が復元されています。
福井城の外堀に設けられていた高麗門で、屋根瓦が越前赤瓦を使用しているのが特徴的です。
両脇にある石垣も、打込接ぎの布積みできれいです。ここは見落としがちなので要チェックです。
福井城・本丸
石垣と水堀
現在の福井城は本丸を残すのみです。
本丸の外周部には幅30~40m程の水堀が取り囲んでいて、現在は埋められていますが、百間堀と呼ばれる幅100mにも及ぶ堀が築かれていました。
本丸の石垣は高さ10m程あり、割石を使用した打込接ぎといわれる工法で横に目地が通る布積みとなっています。
本丸を取り囲む広大な水堀と高さ10mの石垣は、良好に残されていて見どころです。
巽櫓跡
本丸の南東側には巽櫓跡があります。
築城当初の巽櫓は二重の櫓でしたが、1669年の大火により焼失してしまいます。
その後、三重の櫓として再建され天守が再建されなかった為、福井城のシンボルとして明治初期まで存在していました。
御廊下橋
本丸西側には御廊下橋が復元されています。
御廊下橋は本丸と三の丸に架かっていて、藩主が本丸と御座所を行き来する為の格式高い橋です。
明治時代まで残っていたものを、2008年に古写真を元に復元しています。福井城にある貴重な建造物の一つです。
山里口御門
橋を渡った先には山里口御門が復元されています。
正面には石垣上に築かれた土塀があり、笏谷石の板石を張り付けられた場所には鉄砲狭間が設けられています。
奥には桝形内に入る為の棟門がありますが、櫓門や土塀から横矢が掛けられるように工夫され厳重な虎口であることが分かります。
棟門を通った先には櫓門が建てられています。
櫓門と棟門で四角い桝形が形成されていて、棟門前の空間と合わせて二重の桝形が形成されているような印象を受けます。
本丸西側に復元された山里口御門は福井城の堅牢さを体感する事が出来て、見どころです。
結城秀康公像
現在本丸には福井県庁があり、1F受付に続日本100名城のスタンプが設置されています。
当時の本丸には藩主が政務を行う本丸御殿が建てられていました。
また、本丸には結城秀康の像があります。
結城秀康は徳川家康の二男です。家康長男の信康が切腹した為、家康の跡を継ぐと思われていました。しかし、小牧長久手の戦いの和睦の証しとして秀吉の元へ養子に出されてしまいます。
さらに、関東の大名 結城氏へ養子に出されてしまい、家康の後継者は三男である秀忠に決まります。
結城秀康は武勇に優れた聡明な人物でしたが、不運としか云えないですね。
瓦御門跡
本丸南側には瓦御門跡があります。
当時は堀に御本城橋が架けられていて、橋を渡った先に高麗門形式の御門と櫓門形式の瓦御門があり桝形虎口が形成されていました。
本丸南側は本丸の正門であり、瓦御門は横16間(28.8m)奥行き4間(7.2m)程の大きく堂々とした櫓門が建てられていました。
天守台
本丸の北西には天守台が残されています。
天守台の石垣は、一つひとつの石が大きく、切込接ぎの布積みで隙間無く積まれています。
石の表面を専用用具で叩き綺麗にする、「はつり」の化粧がしてあるような感じもします。
この天守台の上には四重五階の天守が建てられていて、高さが30mもある壮大な天守でした。
しかし、1669年に焼失してしまいそれ以降は再建されませんでした。
福の井
天守台の横には福井県の名前の由来となった、福の井があります。
詳しい事は書かれておらず分かりませんが、この井戸が福井県の由来となったそうです。
まとめ
【福井城の見どころ】
・本丸西側の棟門と櫓門と石垣で桝形が形成されている復元された山里口御門
・本丸と三の丸を繋ぐ全国的にも珍しい屋根が付いた御廊下橋
・本丸北西部の四重五階の天守が建てられていた切込接ぎの天守台
・本丸を取り囲む幅30mの水堀と高さ10mの石垣
ウェブサイト:福井城址|公式福井県観光/旅行サイト
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