お城の紹介をします。
愛知県の新城市の亀山城です。
1424年に奥平貞俊により山間部である作手の中央に築かれました。
戦国時代になると奥平氏は今川氏、織田氏、松平氏との間を転々と渡り歩きますが、1575年の長篠の戦いの際には奥平貞昌が長篠城主となり、武田勝頼の攻撃を耐え忍び、功を上げました。
奥平貞昌は長篠の戦いの功により、織田信長から「信」の字を拝領し、奥平信昌に改名しました。
その後、奥平信昌は新城城主となり、更に関東に移封となります。
1602年に奥平信昌の四男が作手藩に封じられ、亀山城が復活しますが、伊勢亀山城に移封されると亀山城は廃城となります。
現在では本丸の外周に築かれた土塁が良好に残っており、当時のお城の面影を見ることができます。
亀山城・基本情報、アクセス
所在地:愛知県新城市作手清岳
城 主:奥平氏
日本100名城スタンプ場所:該当無し
亀山城の西に道の駅つくで手作り村があるので、こちらの駐車場を利用すると良いでしょう。
30台程駐められる無料の駐車場です。
亀山城・二の丸虎口
駐車場から亀山城へ歩いて行くと、二の丸虎口が見えて来ます。
二の丸虎口は両側に草が生えていますが、土塁が築かれている事が分かります。
虎口の道が少し右に曲げられていて、横矢が掛けられるようになっています。
亀山城・本丸東虎口
二の丸虎口を通過すると本丸の東側の虎口があります。
本丸東側の虎口の両側の土塁が二の丸虎口より高く、迫力があります。
高さは3m程はあるかと思います。
土塁が良好に残されていて、亀山城の見所です。
本丸側から見た、本丸東虎口です。
虎口近くの土塁が高くなっていて、曲輪の入口である虎口がお城の重要な防衛箇所であることが分かります。
亀山城・本丸
東虎口を通過すると本丸です。
本丸は東西60m、南北28mと亀山城で最も広い曲輪となっていて、北側と南側に土塁が築かれ外周を囲んでいます。
現在でも高さはありませんが、土塁が築かれて居たことが容易に分かるくらいに残されています。
本丸には亀山城の由来の説明板と石碑があります。
亀山城は代々奥平氏の居城されていて、中でも奥平貞昌が1575年に長篠城に籠城し、武田勝頼の攻撃に耐え忍んだ事が有名です。
長篠城が落城しなかった事が、長篠の戦いで織田、徳川連合軍の勝利の決め手と言っても過言ではありません。
亀山城・本丸西虎口
本丸の西側にも虎口があります。
虎口を通る敵に横矢掛かりが出来る様に、本丸の曲輪が突き出るようになっています。
虎口通路が途中で右に曲げられているので、直進できないようになっています。
外側から見た本丸西側の虎口です。
虎口左手の土塁が高くなっていることが分かります。
通路の幅は人ふたりくらいの道幅で、大人数で攻め込むことはできなさそうです。
本丸西には西曲輪や、南曲輪、腰曲輪が築かれていて、防御を固めています。
亀山城・東曲輪
本丸の北東側には東曲輪があります。
東曲輪は本丸の一段下のに築かれ、本丸と東曲輪の間には空堀が設けられています。
本丸と東曲輪にはかなりの高低差があり、迫力があります。
亀山城は本丸を囲う土塁と東西の虎口が見所です。
城内は草が刈られているので、歩く易くちょっとした散歩にくらいな感じで気軽にお城巡りができる事が良いと思います。
道の駅つくで手作り村では、軽食や五平餅が食べられるので休憩がてら登城するのも良いかと思います。
亀山城公式サイト
https://www.city.shinshiro.lg.jp/kanko/meisyo/kameyamajyoato.html
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