栃木県芳賀郡茂木町にある茂木城。
建久年間(1190~1199年)に八田知家の三男である茂木知基が築城しました。
1336年に南朝方に攻められ落城しますが、奪還します。
1456年の享徳の乱で鎌倉公方成氏方の那須資持らにより、攻撃を受けます。
1595年に佐竹義重により城主茂木治良は常陸国小川城に移され、須田盛秀が茂木城の城代となります。
1602年に佐竹氏が秋田へ移封となり、須田氏も秋田へ移り茂木城は廃城となります。
1610年に細川興元が茂木藩主となり、1619年に陣屋が設置されます。
現在は城山公園として整備され、空堀、堀切、本丸跡などが残され見どころとなっています。
茂木城・基本情報、アクセス
所在地:〒321‐3566 栃木県芳賀郡茂木町 小井戸461‐1
城 主:茂木氏、須田氏
形 式:山城
文化財史跡:町指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
茂木城・御城印

茂木城 御城印 1枚300円
茂木城の御城印が販売されています。
茂木城の南側にある「茂木町まちなか文化交流館(ふみの森もてぎ)」で、1枚300円で購入する事が出来ます。
【茂木町まちなか文化交流館(ふみの森もてぎ)】
所在地:〒321‐3531 栃木県芳賀郡茂木町茂木1720‐1
開館時間:火曜日~金曜日 9:00~19:00・土曜日、日曜日、祝日 9:00~18:00
休館日:月曜日
ウェブサイト:ふみの森もてぎ
茂木城・駐車場

茂木城跡のある城山公園に「城山公園駐車場」があります。
45台程停められる広さの無料駐車場です。トイレも駐車場横に完備しています。
茂木城・縄張り図

茂木城は標高150m程の桔梗山に築かれた山城で、南側の麓には逆川が流れている要害となっています。
城の中心に千人溜と呼ばれる広い空間があり、西側に本丸、北西側に二の丸、北側に三の丸、北東側に馬場が配置されています。
大手は南側にあり、道筋には出丸により防備され、大手門は三方向を土塁に囲まれた桝形となっています。
茂木城・出丸
空堀

茂木城の東側に出丸があります。
出丸の西側には空堀があり、現在は知基橋が架けられています。
空堀は深さが5~6m程あり途中で折れが設けられていて大手方面から迫る敵に備えていて、現在でも良好に残されているので見どころです。
姫の望楼(馬場)

出丸の東側に馬場跡があり、姫の望楼と呼ばれる展望台が建てられています。
姫の望楼は登る事が可能で、麓を流れる逆川や茂木町を一望する事が出来ます。
茂木城・千人溜
大手門跡

千人溜の手前に大手門跡があります。
大手門は千人溜の窪んだ場所にあり、三方向をどるいに囲まれた内桝形となっていて、厳重な虎口である事が分かります。
千人溜内部

茂木城の中心部分に千人溜と呼ばれる曲輪があります。
千人溜は茂木城で最も広い曲輪で、兵が集まったり、居住空間であったと考えられています。
また、姫の入水伝説がある溜池跡や鏡ヶ池があります。
茂木城・本丸
本丸虎口跡

千人溜の西側に本丸があります。
本丸の東側に虎口跡があり、登った先に木戸、武具蔵、合図櫓が建てられていたと推定されています。
本丸外周部の壁面は切岸により切り立った崖となっていて、迫力があります。
土塁、望櫓跡

本丸は東西80m、南北30m程の広さがあり、茂木城の最深部となっています。
本丸の西側には土塁が残されていて、土塁の上には望櫓が建てられていたと伝わっています。
現在でもコの字状に土塁が残されていて、当時の本丸の様子が伝わって来ます。
空堀

本丸の北側に二の丸があり、この間には空堀が築かれています。
空堀は本丸側の高い場所だと深さが6~7m程はあるかと思われ、本丸側から見ると非常に高く感じます。
腰曲輪と堀切

本丸の西側には堀切を挟んで腰曲輪があります。
腰曲輪は見張り台として機能したと考えられている曲輪で、本丸との間には現在でも綺麗に堀切が残されています。
本丸側から見ると腰曲輪、堀切、城下町を一度に見る事が出来て、見どころとなっています。
まとめ

【茂木城の見どころ】
・出丸西側に築かれている折れを伴った深い空堀
・本丸と二の丸の間に築かれた深い空堀と西側の腰曲輪と堀切
ウェブサイト:茂木の城山公園|とちぎ旅ネット~栃木の観光旅行情報サイト
コメント