烏山城の駐車場や御城印、見どころを紹介!

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お城

栃木県那須烏山市にある烏山城。

1417年に那須一族の沢村五郎資重が築城した山城です。

1516年に上下那須氏が統一されるまで下那須氏の本拠、1590年の那須氏の改易まで那須氏の本拠となります。

その後は織田信雄、成田氏、松下氏、堀氏、板倉氏、那須氏、永井氏、稲垣氏と目まぐるしく城主が変遷します。

1725年に大久保常春が入封すると、大久保氏が8代140余年に渡り城主となります。

1869年の版籍奉還により廃城となります。

現在城跡は国の史跡に指定され、吹貫門跡の石垣、三の丸の石垣、車橋跡の堀切、本丸の内桝形門跡、空堀などが残され見どころとなっています。

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烏山城・基本情報、アクセス

所在地:〒321-0631 栃木市那須烏山市城山

城 主:那須氏、織田氏、成田氏、松下氏、堀氏、板倉氏、那須氏、永井氏、稲垣氏、大久保氏

形 式:山城、連郭式

文化財史跡:国指定史跡

日本100名城スタンプ:該当なし

烏山城・駐車場

烏山城の説明板が設置されている烏山城址駐車場

烏山城の南東にある烏山市役所の隣に「烏山城址駐車場」があります。

17台程停められる無料駐車場です。トイレはないので注意が必要です。

登城口のある三の丸跡までは歩いて10分程で行くことが出来ます。

烏山城・御城印

烏山市の国指定重要無形民俗文化財、山あげ祭りに関する資料が展示されている山あげ会館

 烏山城 御城印 1枚300円

烏山城の御城印が販売されています。

山あげ会館で1枚300円で購入する事が出来ます。

【山あげ会館】

所在地:〒321-0628 栃木県那須烏山市金井2丁目5番地26号

開館時間:9:00~16:00

入館料:大人300円、小中学生100円(1階観光物産コーナー、無料展示場は入館料無料)

休館日:火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始

ウェブサイト:烏山の山あげ行事「山あげ祭り」/那須烏山市公式ホームページ

烏山城・縄張り図

烏山城の縄張り図(現地案内板より)

烏山城は標高206mの八高山の喜連川丘陵の頂部に築かれている山城です。

東西800m、南北1300mの城域には五城三郭と呼ばれる曲輪(本丸、古本丸、中城、北城、西城、常盤曲輪、若狭曲輪、大野曲輪)がある連郭式となっています。

1659年に城主堀親昌により東山麓部に三の丸(居館)が築かれました。

烏山城・三の丸

石垣

三の丸跡にある石垣

烏山城の東側の山麓に三の丸があり、登山口があります。

三の丸は1659年に堀親昌が城主になった時に築かれた居館跡で、現在でも石垣が残されています。

石垣は切石を使用した打ち込み接ぎで、烏山城に残る数少ない石垣で見どころの一つとなっています。

七曲口

烏山城への登り口である七曲口

三の丸の南側に七曲口があります。

江戸時代の絵図には門が描かれていて、追手門として利用されていた場所となっています。

ここからつづら折れの坂道が続きます。

烏山城・常盤曲輪

車橋跡

当時は引橋が架けられていた車橋跡

七曲口を登り切った所に車橋跡があります。

当時は車(車輪)が付いた引橋が架けられていて、烏山城の主要部に入る重要な場所となっています。

現在でも深さ5~6m程の堀が残されていて、お城好きはワクワク度が上がる遺構となっています。

常盤門跡

石列が残されている常盤門跡

引橋跡の先には常盤曲輪があります。

常盤曲輪は本丸の東側下段に位置する曲輪で、門跡や石材を切り出すときに出来る矢穴が残る石があります。

烏山城・本丸

吹貫門跡

吹貫門跡に残る石垣

本丸と常盤曲輪の間に吹貫門跡があります。

吹貫門跡には石垣が現在でも良好に残されていて、烏山城を象徴となっています。

吹貫門跡の高さ2~3m程の石垣

石垣は割石を使用した打ち込み接ぎの乱積みで重厚感があり、烏山城一番の見どころです。

石垣の上の曲輪から横矢が掛けられるようになっていて、威圧感のある虎口跡となっています。

正門(内桝形)

石垣や石列が残る本丸の正門跡

本丸の南側に正門跡があります。

本丸正門は現在でも低い石垣や石列が残されていて、江戸時代の絵図には門が描かれています。

門跡の先は右に2回曲がる内桝形となっていて、厳重な虎口となっていました。

正門跡の石垣

正門跡の本丸側壁面には高さ1m程の石垣が残されています。

石垣は烏山城に3ヵ所残る貴重な石垣で、石材は小ぶりですが綺麗に成形され横に目地が通るように積まれています。

空堀

本丸西側の大規模な空堀

本丸と若狭曲輪の間には空堀が築かれています。

空堀は深さが5~6m、幅は10m程あるかと思われる大きな規模で、本丸、古本丸、中城まで南北に貫かれています。

本丸から見下ろすと更に高低差があり、迫力満点の遺構です。

本丸内部

本丸に立つ説明板

本丸は明応年間(1492~1501年)に那須資実が城郭拡張を行った際に築かれた曲輪で、元々は二の丸でしたが、本丸(古本丸)が火災により使用されなくなると主郭の機能を持つようになりました。

発掘調査により本丸御殿の一部と思われる礎石が見つかっていて、複数の時期の建て替えがあったと考えられています。

烏山城・古本丸

空堀

本丸と古本丸の間に築かれている空堀

本丸と古本丸は空堀によって隔てられています。

空堀は深さが6~7m、幅は8~9m程あり、本丸や古本丸の西側にある空堀に繋がっています。

空堀は規模が大きく堀底から曲輪の上部を見上げると迫力満点です。

古本丸(二の丸)

発掘調査により「かわらけ」が100枚程確認された古本丸

本丸の北側に古本丸があります。

古本丸は元々烏山城の本丸でしたが、享禄年間の火災により建物が焼失してしまった為、二の丸として利用されるようになりまた。

東側の塁線は窪んだ場所があり、横矢が掛けられるように工夫されています。

烏山城・中城

空堀

古本丸と中城との間に築かれている空堀

古本丸と中城の間には空堀が築かれています。

古本丸の方が標高が高い場所にある為、斜面の途中に堀と土塁を築いています。

烏山城は空堀が良好に残されていて、土造りの城の魅力が感じられる良い城です。

中城内部

中城内部の様子

中城は古本丸の北側にある曲輪です。

中城から古本丸を見ると高低差があり、ここから古本丸を攻めるのは難儀しそうな印象を受けます。

烏山城・北城

北城内部

烏山城の最も北側に位置する北城内部の様子

中城の北側に北城があります。

江戸時代の絵図を見ると曲輪の周囲は土塀に囲まれていて、更に侍屋敷と書かれています。

現在でも西側に高さ2m程の土塁が残されています。

空堀

北城西側の空堀

北城の西側には大きな空堀が築かれています。

空堀は50m程の幅があり、自然地形の様にも見え、小さな曲輪の様にも見えます。

烏山城・大野曲輪

大野曲輪東側の空堀

北城の西側に大野曲輪があります。

大野曲輪の東西には空堀が築かれていて、北城から大野曲輪に向かう途中に見る事が出来ます。

烏山城・西城

西城北側の空堀

本丸の西側には西城があります。

烏山城の西側は比較的緩やかな斜面となっているので、多数の横堀と曲輪で防備を強化しています。

西城の先端部に行くと二重に築かれている空堀を見る事が出来ます。

まとめ

古本丸東側にある桜門跡(搦め手口)

【烏山城の見どころ】

本丸手前の吹貫門跡に残り烏山城の象徴となっている高さ2~3mの石垣

本丸正門跡に残り石垣が所々に残る内桝形と本丸壁面の石垣

本丸、古本丸の西側を南北に通る長さ100m以上の空堀

本丸、古本丸、中城、北城の曲輪間に築かれてる規模が大きい空堀

ウェブサイト:烏山城跡/那須烏山市公式ホームページ

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