福井県小浜市にある後瀬山城。
1522年に若狭守護の武田元光により築城された山城です。
1568年に越前の朝倉義景が武田家を庇護する名目で、後瀬山城に訪れ武田元明を連れ去ります。
1573年に織田家臣である丹羽長秀が若狭を領有し、後瀬山城を改修し石垣や天守が建てられたと云われています。
その後、豊臣家臣である浅野長政や木下勝俊が城主となります。
1600年の関ヶ原の戦いで功を上げた京極高次が若狭一国を与えられます。
1601年に京極高次は小浜城を築城し、後瀬山城は廃城となります。
現在城跡は国の史跡に指定され、本丸の石垣や二の丸跡、連郭群、堀切などが残され見どころとなっています。
後瀬山城・基本情報、アクセス
所在地:〒917‐0041 福井県小浜市伏原
城 主:武田氏、丹羽長秀、浅野長政、木下勝俊、京極高次
形式:山城・連郭式
文化財史跡:国指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
後瀬山城・駐車場

後瀬山城の東側にある愛宕神社に「後瀬山城跡 駐車場」があります。
5台程停められる広さの無料駐車場です。トイレは無いので注意が必要です。
後瀬山城・御城印

後瀬山城 御城印 1枚300円
後瀬山城の御城印が販売されています。
「若狭おばま観光案内所」で1枚300円で購入する事が出来ます。
お土産や小浜城や後瀬山城のパンフレットなども置いてあります。
【若狭おばま観光案内所】
後瀬山城・登山口

後瀬山城の東側に愛宕神社があり、ここが登山口になります。
登山口には後瀬山城の説明板や、パンフレットが設置されています。
登山口から本丸までは30~40分程で行くことが出来ます。
後瀬山城・縄張り図

後瀬山城は標高168mの小浜湾を望む山に築かれた山城です。
小浜湊と山麓の丹後街道を掌握する要衝に位置し、北側山麓部に三方を堀に囲まれた若狭守護館を造営しています。
山頂部の本丸南西下段には二の丸(山上御殿)があり、茶の湯や歌詠みがされたと考えられる曲輪があります。
西側の斜面には畝状竪堀群が多数築かれ、丹後の一色氏を意識した造成となっています。
後瀬山城・曲輪群
曲輪跡

後瀬山城の東尾根には小さな曲輪が階段状に築かれています。
この東側の稜線と居館跡(空印寺)側の北側稜線には139ヵ所の曲輪が設けられています。
東側稜線と北側稜線の間の北東の谷間には両稜線を繋ぐ道が造られ、谷の横道と呼ばれています。
堀切、土橋跡

東側の登山道を登って行くと虎口を伴った大きな曲輪跡に着きます。
この先は本丸がある領域になるため、尾根を断ち切る堀切と土橋を築き敵の侵入を防いでいます。
土橋の右手には堀切の跡が見受けられ当時の様子が垣間見れます。
後瀬山城・本丸
石段

主郭の北側虎口には石段が築かれています。
石段の両側には高さ1.5~2m程の高さの野面積みの石垣が築かれていて、後瀬山城の最深部に近づいている事が分かります。
本丸北側の石段と石垣は威圧感、重厚感が感じられて見どころです。
石垣

本丸東端部には高さ2~3m程の石垣が築かれています。
本丸周辺の石垣は、丹羽長秀入城以降に改修された際に築かれたと考えられています。
荒々しい自然石を使用した野面積みの石垣は苔生していて、迫力と時間の長さ、歴史を感じられ見どころです。
本丸東端部の石垣を見るには斜面を歩かないといけない為、滑落しないように注意が必要です。
本丸内部

本丸は標高168mの山頂部に築かれています。
後瀬山城の北西部には畝状竪堀群が築かれていて、若狭守護の武田氏が敵対していた丹後の一色氏を意識したものとなっています。
当時の北側山麓には若狭守護武田氏の守護館があり、小浜港を掌握することで国内や明、朝鮮半島の交易を行っていました。
後瀬山城・二の丸(山上御殿)
二の丸内部

本丸の南西下部には二の丸があります。
二の丸は本丸に次ぐ広さがあり、武田氏の築城時に造成され、丹羽氏以降にも増改築がされていると云われています。
発掘調査により東西8間、南北4間の礎石建物跡や土塁角張り石の築山、多数の茶器が検出され、文化的な側面が強い曲輪であったと考えらえています。
空堀

本丸と二の丸の間には空堀で仕切られています。
本丸側は切岸により傾斜が強く頂部には石垣が一部残されていて、二の丸との間は空堀により防御力を強くしています。
本丸と二の丸の間の堀切は良好に残されていて、本丸側の切岸、石垣も見る事が出来て見どころです。
まとめ

【後瀬山城の見どころ】
・本丸東端部に残されている野面積みで苔生した荒々しい迫力ある石垣
・本丸北側の登城者を威圧するかのような風格ある石段と石垣
・本丸と二の丸の間の空堀と文化的な機能を持ったと考えられる二の丸跡(山上御殿)
ウェブサイト:後瀬山城跡|小浜市公式ホームページ
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