山梨県都留郡富士河口湖町にある本栖城(もとすじょう)。
天文、永禄年間の武田氏の文書に「本栖在城」とあり、国境警備のために築城されたと云われています。
1582年に渡辺囚獄佑が在城していたとも云われています。
烏帽子岳から青木ヶ原樹海に迫り出した標高1056mの城山山頂に築かれていて、戦国時代には軍事上重要な中道往還が麓にあり、国境警備、監視を行っていたと考えられています。
また、中道往還には富士山の溶岩を使用した石積み(信玄築石)が築かれ、往還の防止や警固が図られています。
現在でも尾根上に主郭があり、複数の堀切や、のろし台、信玄築石などが残され見どころです。
本栖城・基本情報、アクセス
所在地:〒401‐0337 山梨県都留郡富士河口湖町本栖
城 主:武田氏
形 式:山城、連郭式
文化財史跡:ー
日本100名城スタンプ:該当なし
本栖城・駐車場
本栖城の南側、本栖湖の西側に本栖湖駐車場があります。
40台程停められる無料駐車場です。トイレは駐車場内にあります。
駐車場から本栖城の登城口までは歩いて、20~25分程掛かります。
本栖城・登城口
登城口
本栖城の南東の国道139号線の近くに本栖城の登城口があります。
登城口には本栖城(城山)の説明板が設置されていて、登城口から主郭までは歩いて15~20分程掛かります。
登城道
登城道は斜面に造られたつづら折れの道が続きます。
登城道の途中には木々の隙間から富士山を見る事が出来ます。
本栖城・東側の曲輪
竪堀(堀切)
登城道を登って行くと尾根上に辿り付き、尾根を進むと竪堀の案内板が見えて来ます。
竪堀(堀切)は深さが3~4m、幅が5~6m程あり、尾根を断ち切る事で敵が侵入してこないようにしています。
主郭東側の尾根上に築かれた竪堀は、良好に残されていて見どころです。
竪堀の先には二重の堀切のような遺構が見受けられます。
両方とも浅い空堀となっていますが、恐らくお城の遺構と思われます。
尾根を更に進むとまた、堀切が現れます。
この堀切は岩盤を削って造られた堀切で、両側に岩がむき出しになっています。
土を掘って造られた堀切よりも労力が掛かっていると思われ、迫力もあります。
本栖城・主郭
虎口跡
主郭の手前には虎口の様な狭くなった場所があります。
虎口と思われる場所には石積みがあり、溶岩を使用したものと思われます。
石積みの規模は小さいですが、他のお城では中々見られない珍しいものとなっています。
主郭内部
虎口に先に主郭があります。
主郭は本栖城で最も広い平地が確保された場所となっています。
尾根上に築かれた城郭なので細長い曲輪ですが、国境警備、監視のお城なので、十分な広さとも云えます。
本栖城・西側の曲輪
のろし台
主郭の先、西側にはのろし台があります。
のろし台は土が盛られた小さな丘となっていて、のろし台と書かれた看板があります。
のろし台は本栖城特有の遺構で、見どころです。
のろし台にはかすかに石積みが築かれていたと思われる形跡があります。
この石積みも溶岩が使用されていると思われ、富士山に近い城郭ならではとなっています。
異変があった時にのろし台から狼煙を上げて、情報の伝達を行っていたのでしょうか。
堀切
のろし台の先にも堀切が築かれています。
この堀切も岩盤を削って造られた大きな堀切で、深さは4~5m、幅は7~8m程はあるかと思われます。
のろし台奥の堀切は、主郭の東側にあった堀切よりも深く鋭いので、迫力があり見どころです。
両側が崖となっていている足場の悪い所に良く築いたなと感心します。
のろし台奥の堀切に続く道は細く、横がすぐ崖となっているので、滑落しないように注意が必要です。
旧中道往還
入口
本栖城の東側の国道139号線に旧中道往還の入口があります。
旧中道往還は甲斐と駿河を結ぶ三つの街道があり、若彦路と富士川街道の間にある為、中道と呼ばれていました。
鎌倉時代には甲斐源氏の武田信義や安田義定、戦国時代には武田信玄、織田信長、徳川家康などが軍用道路として利用しました。
信玄築石
旧中道往還の入口から先へ進むと信玄築石があります。
信玄築石は中道往還の防備や警護のために溶岩を使用して石積みが築かれていて、道が鉤状に屈曲されています。
溶岩を使用した石積みは現在では苔生していて、ジブリの世界観のような独特な雰囲気があります。
信玄築石は幻想的な世界観となっていて、見どころです。
まとめ
【本栖城の見どころ】
・西側の尾根に良好に残る竪堀
・主郭の東西に残る岩盤を削って造られた迫力ある堀切
・主郭の西側にある国境警備、監視の為に造られているのろし台
ウェブサイト:本栖の城山|富士河口湖観光情報サイト
コメント