お城の紹介をします。
静岡県浜松市の千頭峯城です。
南北朝時代に後醍醐天皇の第八王子である宗良親王を奉じた、井伊氏の山城です。
1339年に北朝方の高野師兼が攻め寄せた際、井伊氏一族の奥山朝藤ら数百人が籠城しますが、三ヶ月の攻防の末落城しました。
戦国時代にも砦として利用された様ですが、詳細は分かっていません。
現在でも、本丸、二曲輪、西曲輪、南曲輪などの曲輪跡が残り、特に西曲輪と二曲輪を隔てる堀切が広大で見どころとなっています。
千頭峯城・基本情報、アクセス
所在地:〒431-1413 静岡県浜松市北区三ヶ日町摩訶耶
城 主:井伊氏
形 式:山城
文化財史跡:静岡県指定史跡
日本100名城スタンプ場所:該当無し
千頭峯城・駐車場
千頭峯城の南に千頭峯城址専用駐車場があります。
5・6台は駐められる広さがある無料駐車場です。
舗装はされていないので、雨でぬかるむ可能性があります。
駐車場横の側道を歩いて行くと、千頭峯城への登城道があります。
5分ほど登って行くと、荷馬街道という道に出ます。
荷馬街道は千頭峯城の麓の南西にあります。
城内や周辺地域へ兵糧や資材を運搬していたのでしょうか。
荷馬街道を進んで行くと、右手に本曲輪方面へ行く道があります。
この道を進んで行くと本丸東にある、東曲輪に行くことができます。
千頭峯城・東曲輪
東曲輪は文字通り、千頭峯城の東にある曲輪で、三段で構成されています。
現在は三段ある内の一段にしか行くことはできないですが、城内の兵が集まれる広さがあります。
千頭峯城・二曲輪(東側)
東曲輪を北に進んでいくと、二曲輪があります。
二曲輪は本丸下段の北と東にある曲輪で、こちらは本丸東側の二曲輪です。
冬でも草が生い茂っていて分かりづらいですが、東曲輪と同等程度の広さがあります。
千頭峯城・本曲輪
二曲輪の西にある道を登って行くと、本曲輪になります。
本曲輪は千頭峯城の中心に位置していて、三方向に延びる尾根を利用し東曲輪、西曲輪、南曲輪が形成されています。
案内番には鶴翼型の山城と記載されていました。
縄張り的には、兵庫県の竹田城のようなイメージでしょうか。
本曲輪は、二曲輪や東曲輪より少し広い曲輪です。
千頭峯戦没慰霊者の石碑や祠、千頭峯城の説明板などがあり、ベンチも設置されています。
本曲輪の西には虎口があります。
本曲輪への道が右に折れていることが分かります。
本曲輪に迫り来る敵に、本曲輪上から側面攻撃出来るようになっています。
千頭峯城・二曲輪(西側)
本曲輪の西には二曲輪があります。
こちらの二曲輪は本曲輪に西側にある曲輪で、二曲輪の入口には虎口跡があります。
こちら側が大手口の虎口で、両側に土塁が築かれていたようです。
千頭峯城・西曲輪、堀切
二曲輪の道を下って行くと、西曲輪があります。
西曲輪と二曲輪は堀切で隔てられていて、現在でも大きな堀切が残されています。
西曲輪の堀切は良好に残されているので、千頭峯城一番の見どころです。
千頭峯城・南曲輪
一度本曲輪まで戻り、南へ降りていくと南曲輪があります。
南曲輪は、本曲輪の南に位置する曲輪で、三段程の曲輪で構成されています。
まとまった広さがある曲輪というよりは、斜面に小さな段がちょこちょこある感じです。
南曲輪の西側には竪堀があります。
写真では分かりづらいですが、斜面に窪みがあり、竪堀の痕跡があります。
竪堀は敵が斜面を登って来たときに、横方向の移動を制限する効果があります。
竪堀の中に入ってしまうと、城内の兵に上から狙い打にされてしまいます。
千頭峯城・井戸曲輪
南曲輪を下って行くと、荷馬街道に出るので駐車場方面へ戻ります。
すると途中に井戸曲輪への案内板があり、案内通り道を進むと井戸曲輪に行くことができます。
井戸曲輪には井戸が設置されていて、城内の生活水を確保していたと思われます。
千頭峯城は、本丸を中心として三方向に築かれた曲輪跡が残る山城です。
特に、西曲輪と二曲輪の間に設けられた堀切は良好に残り、見どころとなっています。
千頭峯城観光情報ウェブサイト
https://hamamatsu-daisuki.net/search/area/are-north/post-387.html
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