静岡県島田市にある野田城。(別名、大津城)
野田城(大津城)の歴史はハッキリとしておらず南北朝時代と戦国時代の2つの説があります。
南北朝時代に南朝方の佐竹兵庫入道らは安倍城を追われ、駿河大津庄で大津城を築城し立て籠もりました。
北朝方である足利尊氏は今川範氏に南朝方の討伐を命じました。
1352年、今川範氏と伊達景宗らは佐竹氏が籠る大津城を攻め、落城させました。
また、江戸時代の「駿河志科」には、野田の城山と戦国時代に武田家臣の初鹿傳右衛門が在城していたと記されています。
現在では標高151mの城山の主郭に至る複数の登城路に堀切が残され見どころとなっています。
野田城・基本情報、アクセス
所在地:〒427‐0007 静岡県島田市野田
城 主:佐竹兵庫入道、初鹿傳右衛門
形 式:山城
文化財史跡:なし
日本100名城スタンプ:該当なし
野田城・駐車場
野田城の南側に駐車場があります。
15台程停められる広さの無料駐車場です。トイレは中央公園第三駐車場にあります。
野田城・縄張り図(ルート図)
野田城は標高151m比高95mの独立した丘陵に築かれています。
山頂部に主郭があり、東側には腰曲輪が配置されています。
それぞれの尾根の登城路には堀切が築かれ、主郭を守っています。
野田城・登城口
登城口(中央公園ルート)
駐車場の横に登城口(中央公園ルート)があります。
登城口には野田城の説明板が設置されていて、どうやらパンフレットもあったようです。
登城口は他にも東側の野田ICルート、北側の安間堰ルートがあります。
登城道は比較的整備されていて、主郭まで行くための案内板も設置されています。
登城口から主郭までは歩いて15~20分程掛かります。
野田城・西側(中央公園ルート)
堀切①
中央公園ルートの登城道をしばらく登って行くと、堀切が見えて来ます。
堀切は深さが1~2m程あり、中央部は堀残され土橋となっています。
堀切の両端は竪堀となっている様子がうかがえます。
堀切を越えた所から見ると全体像が良く見るので分かり易いです。
マイナーな山城ですが、意外と遺構が残されています。
中央公園ルートの堀切は見どころです。
野田城・主郭
主郭内部
山頂部に主郭があります。
主郭は平坦地となっていて、ベンチや顔はめパネルが設置されています。
おそらく地元の学生が作成したものかと思われます。
景色
主郭の東側は視界が開けていて景色が良いです。
野田の町と国道1号線が通っている様子が一望でき、ベンチで一休みできます。
野田城・東側(野田ICルート)
堀切②
主郭から野田ICルート方向へ下って行くと堀切があります。
堀切は深さが1~2m程で、両端は竪堀となっています。
主郭側から見ると高低差があり、野田城の見どころとなっています。
堀切③
堀切②の先を更に下って行くと、もう一つ堀切が築かれています。
こちらの堀切は深さが1~1.5mと浅めですが、堀切が築かれていたことは分かります。
野田城・北側(安間堰ルート)
堀切④
主郭から安間堰ルート方向へ下って行くと堀切が築かれています。
堀切の深さは上段と下段で高低差があり、2~3m程となっています。
ハッキリとした堀と云うよりは段差のような形で遺構が残っています。
堀切⑤
先ほどの堀切から更に下った所に、もう一カ所堀切が築かれています。
こちらの堀切も段差のような形で残っていて、やや両側に堀跡が見受けられます。
城山古墳
安間堰ルートには城山古墳が残されています。
城山古墳は四世紀のものと云われ、弥生時代の在地型の古い形式の古墳と考えられています。
大和政権の支配下に入った首長配下の族長の墓と云われています。
鉄剣や刀子などが出土しているようです。
まとめ
野田城は各登城路に築かれている堀切が見どころです。
まだ歴史の詳細が分からない部分がありますが、弥生時代の城山古墳や南北朝時代の攻城戦、戦国時代には武田氏の管理下など様々な遺構や伝承が残されています。
野田城ウェブサイト
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