静岡県伊豆市にある狩野城。
平安時代末期に藤原維景は狩野郷に定住し狩野氏を名乗りました。
代々伊豆と伊豆七島を治める狩野氏は、狩野城を築き本居城としました。
1170年に狩野茂光は伊豆大島の為朝を倒し、「介」の称号を賜りました。
また、狩野氏は1180年の頼朝の平氏追討の旗揚げに参じ、功績を上げました。
1432年に狩野景信は将軍足利義教の御全で「富士の正図」を描き、才を認められ息子正信と京都に上りました。
その後正信は「狩野派」を起こし絵師としての隆盛しました。
1493年に伊勢新九郎が狩野城に攻めてきて攻防が繰り広げられ、1498年に狩野城は落城しました。
現在でも城跡には本郭、西郭、東郭、中郭などの郭群が残されており、本郭の土塁や二重堀切、各郭の堀切などが見どころとなっています。
狩野城・基本情報、アクセス
所在地:〒410‐3217 静岡県伊豆市大平柿木
城 主:狩野氏
形 式:山城
文化財史跡:市指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
狩野城・駐車場
狩野城の北側に狩野城跡駐車場があります。
8台ほど止められる大きさの無料駐車場です。
トイレも完備しており、パンプレットの設置されています。
狩野城・登り口
主郭への登り口は2カ所あります。
距離は長いですが、傾斜が緩やかなコースと距離は短いですが、傾斜が急なコースです。
どちらも主郭までは歩いて15分ほどかかります。
狩野城・西郭
堀切
西郭の前面に堀切が築かれています。
堀切は深さが5~6m、幅が8~9m程あり、良好に遺構が残されています。
堀切の両端はそのまま谷へと落ちて行き、竪堀のようになっています。
狩野城には遺構や郭の標識が設置されているので、分かりやすくて良いです。
郭内部
西郭は本郭の西側に位置している郭です。
そこまで広さはないですが、狩野城の西側の守りを担っている重要な郭です。
狩野城・本郭
二重堀切
本郭と西郭の間には二重堀切が築かれています。
二重堀切は中央の土を掘り残し、土塁としていることで敵が移動し辛いように工夫されています。
現在では2つの堀切は浅くなっていますが、当時はもっと深くなっていたと思われます。
連続で堀切が築かれているのは珍しいので、狩野城の見どころです。
郭内部
本郭は西郭と東郭、中郭の間にある郭で、狩野城の中心部に位置しています。
広さは西郭とほぼ同等程度の大きさとなっています。
土塁
本郭の外周には土塁が築かれています。
土塁は高さが約1m、長さは7~8mほど残されています。
狩野城で土塁がハッキリと残されているのはここだけなので、見どころのひとつとなっています。
狩野城・中郭
郭内部
本郭の南東に中郭があります。
中郭は細長い郭となっており、狩野城で最も広い郭となっています。
中郭には題目堂という建物が建てられています。
現在では使われていないのか、だいぶ荒れ果てております。
狩野城・南郭
中郭の先に南郭があります。
南郭は小さな郭ですが、狩野城で最も標高が高い場所に位置しています。
狩野城・東郭
堀切
東郭と中郭の間に堀切が築かれています。
堀切は深さが4~5m、幅が7~8m程あり、遺構が良好に残されています。
郭と郭の間には確実に堀切が築かれており、抜かりないです。
郭内部
東郭は中郭の東側に築かれています。
郭の内部がえぐれている場所があり、2段になっています。
近代に手が加えられたものか、当時からこうなっていたのかは分かりません。
狩野城・出丸
東郭から少し離れた場所に出丸があります。
東側から迫って来た敵を最初に迎撃する拠点として機能している郭です。
まとめ
狩野城は本郭の二重堀切、土塁、各郭の堀切が見どころです。
足利幕府や豊臣氏、徳川幕府などに重宝された絵師の狩野氏のゆかりのお城で、ハイキングコースが整備されているので見学しやすい山城です。
狩野城ウェブサイト
http://kanko.city.izu.shizuoka.jp/form1.html?c1=5&c2=1&aid=4&pid=3178
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