静岡県浜松市の堀川城です。
1568年に徳川家康は遠江に侵攻するべく井伊谷三人衆(近藤康用・菅沼忠久・鈴木重時)を調略し軍を進めました。
しかし、今川氏配下の土豪と農民達が堀川城を築き、徳川家康に抵抗しました。
堀川城は浜名湖の湖岸の水辺を利用した攻め辛い堅城でしたが、徳川家康は三河に一旦引き体勢を整え堀川城を攻撃しました。
堀川城を徹底的に攻め、立て籠もった城兵や住民を撫で切りとして、落城後も敗残兵を探し出しました。
捕虜となった者は獄門畷で首を晒した為、徳川家康の中で最も残虐な戦いとされています。
現在では、城跡はほとんど残されておらず、石碑が残されているのみとなっています。
堀川城・基本情報、アクセス
所在地:〒431-1305 静岡県浜松市北区細江気賀
城 主:尾藤氏
形 式:平城
文化財史跡:浜松市指定史跡
日本100名城スタンプ:該当無し
堀川城・駐車場
堀川城に専用駐車場はありません。
近くの気賀関所の駐車場を利用すると良いでしょう。
駐車場から堀川城までは、歩いて5分程です。
堀川城・跡地
駐車場から歩いて5分程で堀川城跡に到着します。
堀川城は現在お城の遺構は残されておらず、石碑や案内板が設置されているのみとなっています。
1560年に起きた桶狭間の戦いにより、今川義元が討たれると遠江を支配していた今川家の体勢が弱体化します。
この地の土豪や住民達はこれまで通り今川家に属するか、徳川家や武田家に付くのか迫られる事になりました。
1568年徳川家康が井伊谷周辺を調略すると、遠江へ侵攻を開始しました。
この地の気賀周辺の土豪や住民達は今川氏真に付くことを決め、堀川城を築城しました。
当時の堀川城は浜名湖湖畔の水辺が城内に入り込む、要害となっていました。
駿府城を落された今川氏真の籠もる掛川城攻めが難航し、かつ武田氏が遠江に侵攻したことにより、徳川家康は一旦三河へ引き返します。
体勢を整えた徳川家康は再度堀川城に迫り、攻撃を開始します。
徳川家康は堀川城に籠もる城兵や住民達を撫で切りとして、徹底的に攻め落城させました。
落城後も敗残兵を探し出し捕らえて、獄門畷でさらし首としました。
徳川家康に残虐なイメージはあまりなかったですが、このような戦いをしたとは驚きです。
堀川城・獄門畷
堀川城から北へ600m程の所に獄門畷跡があります。
石碑と説明板が設置されていて、この場所で捕らえられた700人の首が打たれ、さらし首にされたと伝わっています。
今川氏につかずに徳川氏についていれば、このような惨状は起きなかったかも知れません。
ひとつの判断ミスが命取りになってしまう、戦国時代の厳しさを痛感します。
最後に
堀川城はお城の遺構は残されていませんが、徳川家康の意外な一面が垣間見える場所となっています。
気賀関所とセットで見学するのが良いかと思います。
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