お城の紹介をします。
静岡県周智郡森町の天方城です。
1394年~1428年の間に、山内氏の居城として遠州森町の標高250mの城山に築かれた山城です。
戦国時代になると、天方通興が城主となり今川氏の武将として活躍していました。
しかし、今川義元が桶狭間の戦いで織田信長により討ち死にとなると、遠州に徳川家康が侵攻してきました。
徳川家康が浜松まで進出しても天方氏は徳川に従わなかった為、1569年には徳川勢が天方城を攻撃し、落城、降伏しました。
1570年には天方氏は徳川氏の命令に従わずに、兵を集め天方城に籠もった為、再度徳川勢に攻撃され降伏する事になります。
1572年には武田信玄の大軍が侵攻してきた為、天方氏は戦わずして降伏してしまいます。
信玄は久野忠宗と天方氏を天方城の守将としました。1573年に武田氏と徳川氏による天方城の攻防戦が行われ、徳川氏の支配する所となりました。
現在では、主郭の内堀や二の曲輪の外堀が良好に残されており、城址からは森町を見渡す事のできる眺望となっています。
天方城・基本情報、アクセス
所在地:〒437-0212 静岡県周智郡森町向天方
城 主:山内氏、天方氏
形 式:山城
文化財史跡:町指定史跡
日本100名城スタンプ場所:該当無し
天方城・駐車場
天方城のある城山を登っていくと天方城、城ヶ平公園の駐車場があります。
20台ほど駐められる無料の駐車場で、トイレも完備しています。
ここまで来る山道は道幅が車1台分の所が多く、対向車が来ると立ち往生してしまいます。
所々にすれ違い用の待避場所はあります。
天方城・縄張り
天方城は標高250mの山頂部に築かれた山城です。
主郭を中心に土塁と内堀で隔てられた北側に、二の曲輪があります。
二の曲輪の外周には外堀が築かれ、西側には竪堀も築かれ防備を固めています。
天方城・二の曲輪
駐車場の隣が二の曲輪です。
二の曲輪は主郭の北側に位置していて、主郭より一回り小さい曲輪となっています。
外堀
二の曲輪の外周には外堀が築かれています。
外堀は深さ1m、幅3m程で長さは10m以上に渡っています。
当時の外堀はもっと深く、急であったと思われます。現在では堀跡が少し分かる位です。
天方城・主郭
土橋(北側)
二の曲輪と主郭に架かる土橋です。
土橋は人ひとり通れる程の道幅で、両側は内堀が築かれています。
内堀と土塁
土橋から見た内堀と主郭の土塁です。
内堀は深さは、土塁の頂部から堀の底面までだと5mはあるかと思います。
堀幅は2~3mあり、二の曲輪よりも主郭側の土塁が高くなっている為、強力な防御機構となっています。
主郭の東側から見た内堀と土塁です。
やはり土塁が高く、内堀の深いので圧巻です。天方城の一番の見どころとなっています。
土塁と内堀は弧を描いていて、遺構が良好に残されているのが良いです。
天方城・主郭
天方城の中心部に主郭があります。
主郭は南北50m、東西100mほどあり、二の曲輪より二回り大きい曲輪で、天方城の主要部です。
外周には内堀が築かれ、元々の大手口は南東にありました。
主郭は現在城ヶ平公園として整備され芝生が植えられています。
主郭の中心部には、天方城の石碑が建てられています。
主郭西側の内堀です。
こちらの内堀は二の曲輪に面している内堀よりは、浅くなっていますが、堀のあとは充分に分かります。
天方城・展望台
土橋(西側)
主郭の西側には土橋が築かれています。
土橋の両側には内堀が築かれ、主郭の虎口が形成されています。
竪堀
土橋の先には竪堀が築かれています。
規模は小さいですが、現在でも堀の跡がうっすらとあることが分かります。
注意深く見ないと見逃してしまう遺構です。
主郭の西側の土橋の先には展望台があります。
しっかりと建てられた立派な展望台で、ちょとした櫓のようにも見えなくもないです。
展望台に登ると前方の視界が開けていて、景色を楽しむ事ができます。
展望台からは、遠州の小京都と云われる森町一望する事ができます。
改めて天方城が、山の頂上の天然の要害に築かれていることを実感します。
最後に
天方城は、主郭外周に築かれた内堀と土塁が見どころの山城です。
内堀と土塁の高低差は高く迫力があります。また、展望台からは森町を一望する事ができ、爽快感があるので、一度訪れる価値はあります。
天方城のウェブサイト
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