長野県飯田市にある鈴岡城です。
南北朝時代に小笠原宗政が築いた事に始まります。
15世紀後半に小笠原政秀の時に信濃守護職をめぐり、松尾小笠原氏と争います。
1554年の武田信玄の伊那侵攻の時に先鋒となった松尾小笠原氏の小笠原信貴、信嶺父子に攻められ、鈴岡小笠原氏の小笠原信定は敗れ落城しました。
その後は毛賀沢川を挟んだ対岸の、松尾小笠原氏の居城である松尾城の支城として利用されました。
現在では鈴岡城址公園として整備され、本丸、二の丸、出丸などの曲輪跡、空堀、堀切が良好に残され見どころとなっています。
鈴岡城・基本情報、アクセス
所在地:〒395-0812 長野県飯田市駄科1055
城 主:小笠原氏
形 式:平山城
文化財史跡:県指定史跡
日本100名城スタンプ:該当無し
鈴岡城・駐車場
鈴岡城がある鈴岡城址公園には第1~4駐車場があります。
全部で50台程駐められる大きさの無料駐車場で、トイレも完備しています。
鈴岡城・外郭(的場)
空堀
鈴岡城の西側には外郭(的場)があります。
外郭の西側には空堀が築かれていて、西側から迫る敵に備えています。
空堀は深さが2~3m、幅は6~7m程あり、かなり大規模なものとなっています。
鈴岡城・二の丸
外堀(東側)
二の丸の東側には横堀が築かれています。
横堀の堀底はV字形の薬研堀となっていて、堀の傾斜角度は最大で60°にもなります。
横堀の外側には土塁があり、城兵が移動する際に利用していたようです。
外堀(南側)
二の丸の南側と西側(外郭との間)には空堀が築かれています。
南側の空堀は二の丸高さからだと3~4mの深さで、幅は3m程でこちらも規模の大きなものとなっています。
鈴岡城址公園に入るとこの空堀が視界に入ってくるので、圧倒されます。
外堀(西側)
二の丸西側の空堀も南側と同等規模の迫力ある大きさとなっています。
西側の空堀の北側は谷へ落ちて行くようになっていて、自然の地形が生かされています。
写真右側の二の丸に停まっている車と空堀と比べると、いかに大きいかが分かるかと思います。
郭内部
現在の二の丸内部は遊具が設置され公園となっています。
二の丸の西側からは発掘調査により、たくさんの柱跡が検出されていて、建物が繰り返し建てられていたと考えられています。
また、二の丸の東側や南側は視界を遮るものが無いため、見晴らしがとても良いです。
鈴岡城・本丸
内堀
二の丸の北側に本丸があります。
本丸の西側から南側に掛けてL字の空堀が築かれていて、本丸に敵を近づけないようにしています。
空堀の規模が大きく良好に残されているので、鈴岡城一番の見どころです。
本丸西側の空堀は深さが5~6m、幅は広い所で10mにも及ぶかと思われます。
二の丸西側の空堀と同様に北側は谷へと落ちていくようになっています。
本丸南側の空堀も西側と同様の規模があります。
二の丸よりも本丸の方が高い位置にあるため、守る側に有利になるようになっています。
郭内部
本丸には鈴岡城の説明板や標識が建てられています。
本丸は北側で80m、西側で45mの広さがある郭となっています。
また、本丸は空堀で仕切られた二の丸、出丸に挟まれていて、東側は崖となり徹底された防御となっています。
鈴岡城・出丸
堀切
本丸と出丸の間には堀切が築かれています。
空堀は深さが6m、幅は19mもあり、本丸西側の内堀と合流し、さらにその先は谷へと落ちていき縦堀となっています。
大規模な堀切で迫力があり、本丸を守る意図が伝わって来て、こちらも鈴岡城の見どころです。
郭内部
出丸には現在、四阿が建てられています。
出丸は本丸の北側(背後)を守る為の郭で、南北が50m、東西が35mの広さがあり三角の形をしています。
出丸の北側は毛賀沢川が流れていて、松尾城に行く為の橋が架けられています。
景色
出丸からは南アルプスの山々を見る事ができます。
雪をかぶった北岳や仙丈ヶ岳、松尾城などが見え景観の良い場所となっています。
まとめ
鈴岡城は本丸や二の丸などの各空堀や、出丸の堀切などが良好に残されていて見どころです。
いずれの空堀も規模が大きく、土造りのお城の魅力や迫力を体感する事ができ、オススメのお城です。
鈴岡城ウェブサイト
https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/suzuokajo.html
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