長野県飯田市にある飯田城。
13世紀初め頃に地頭坂西氏により築かれた事に始まります。
1582年の武田氏滅亡後に、織田家臣である毛利秀長に伊那郡が与えられ飯田城を中心に統治しました。
本能寺の変、天正壬午の乱により徳川家康の支援を受けた下条頼安が飯田城を管理しましたが、後に菅沼定利が入城しました。
徳川家康が関東に移封されると、毛利秀頼、京極高知と城主が変わり、近世城郭へと改修されました。
江戸時代になると小笠原氏、脇坂氏、堀氏と城主が変わり明治維新を迎えました。
現在では、松川と野底川に挟まれた河岸段丘に本丸、二の丸等の曲輪跡があり、桜丸御門(赤門)、二の丸櫓門(八間門)、水の手の石垣などが残され見どころとなっています。
飯田城・基本情報、アクセス
所在地:〒395‐0034 長野県飯田市追手町2丁目641-30
城 主:坂西氏、毛利氏、下条氏、菅沼氏、京極氏、小笠原氏、脇坂氏、堀氏
形 式:平山城
文化財史跡:市指定有形文化財(桜丸御門、八間門、薬医門、桜丸西門、脇坂門)
日本100名城スタンプ:該当なし
飯田城・駐車場
飯田城の二の丸に飯田市美術博物館があります。
美術博物館を利用する方はこちらの駐車場を利用すると良いでしょう。
美術博物館を利用しない方は、300m程北西にある飯田市営本町駐車場を利用しましょう。
飯田城・本丸
長姫神社
飯田城の河岸段丘の先端部に本丸があります。
現在本丸には長姫神社があり、荘厳な雰囲気となっています。
空堀
本丸と二の丸の間には空堀が築かれています。
空堀は深さが7~8m、幅が10m以上はあり当時は中央に土橋が設けられていました。
かなり大きな空堀なので迫力があります。
飯田城・二の丸
門と塀
二の丸には飯田市美術博物館があります。
美術博物館と駐車場の間には門と塀が建てられており、お城の雰囲気が伝わってきます。
八間門「二の丸御門」(市指定有形文化財)
二の丸の虎口には八間門(二の丸御門)の跡があります。
現在は跡地のみで、当時の八間門は明治の廃城の時に市内の木下家に移築され現存しています。
八間門は1.5㎞ほど南東にある木下家に移築されています。
八間門は切妻造りの本瓦葺きで、5間3戸の櫓門で両側には長屋が付随しています。
現在見られる姿は移築された際に改築されたもので、当時は入母屋造りで長屋は無く、両側の石垣の上に建っていたと考えられています。
八間門は安土桃山時代の建築様式を現在に伝える貴重な建築物です。
飯田城から少し離れた場所にありますが、飯田城に訪れたら必見です。
水路跡
二の丸には水路跡や井戸が残されています。
水路は二の丸内を区画していて河原石を使った石積みとなっています。
井戸も二の丸内に2ヶ所あり石積みで造られています。
飯田城・水の手
石垣
二の丸の西側には水の手御門跡があり、石垣が残されてます。
石垣は高さが3m程あり野面積みと思われる荒々しいものとなっています。
水の手御門は毛利氏、京極氏時代の時は大手門として利用されていましたが、小笠原氏の時に大改修がされ搦手門へと変更されました。
現在は石垣のみ残されており、飯田城の貴重な遺構となっています。
景色
飯田城の南側に行くと眼下を見ることができます。
飯田城が河岸段丘上に築かれていることが分かり、堅固な城だということが伝わってきます。
飯田城・桜丸
赤門「桜丸御門」(市指定有形文化財)
二の丸の北西側の桜丸には赤門が残されています。
赤門は1754年に建てられた門で、入母屋造りの本瓦葺き、鬼瓦には堀氏の向梅が使われています。
2本の鏡柱と控え柱で建てられ、潜り戸が設けられています。
江戸時代に本丸では町から遠い為、桜丸で政務を執っていました。
こちらも飯田城の貴重な城郭建築物となっていて必見です。
まとめ
飯田城は八間門(二の丸御門)、赤門(桜丸御門)、水の手御門の石垣が見どころです。
城跡は市街地となっていて、ほとんど遺構が失われてしまっていますが、市内に移築された門が点在しています。
ゆっくり散策しながら飯田城の遺構を巡るのが良いかと思います。
飯田城ウェブサイト
https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/iidajou.html
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