兵庫県たつの市にある龍野古城(鶏籠山城)。
1499年に赤松村秀が標高211mの鶏籠山に築城しました。
赤松氏4代の居城となり、78年間この地方を治めました。
1577年に織田信長の命を受けた羽柴秀吉が播磨に侵攻し、二万の大軍で揖保川まで迫りました。
城主の赤松広秀は赤松家の滅亡を避けるため開城し、秀吉に降りました。
その後は秀吉配下の蜂須賀氏、福島氏、木下氏、小出氏が城主を務めました。
1598年に山頂部の城郭は取り払われ、山麓部に移りました。
現在でも、本丸や二の丸跡があり、本丸の石垣や竪堀などが残され見どころとなっています。
龍野古城・基本情報、アクセス
所在地:〒679‐4171 兵庫県たつの市龍野町北龍野
城 主:赤松氏、蜂須賀氏、福島氏、木下氏、小出氏
形 式:山城・連郭式
文化財史跡:ー
日本100名城スタンプ:該当なし
龍野古城・御城印
龍野古城 御城印 1枚400円
龍野古城の御城印が販売されています。
龍野城の西側にある「たつの観光売店 さくら路」で1枚400円で購入する事が出来ます。
また、「蔵あかねの自動販売機」と「たつの観光案内所」でも購入する事が出来ます。
【たつの観光売店 さくら路】
龍野古城・駐車場
龍野城の西側に龍野公園駐車場があります。
30台程停められる広さの無料駐車場です。トイレは駐車場内にあります。
桜祭りが行われている時は龍野公園のグラウンドが臨時駐車場となることがあります。
龍野城下には市営駐車場があります。
場所にもよりますが、15~20台程停められる広さの有料駐車場です。
料金は1回(24時間)で300円となっています。
龍野古城・縄張り図
龍野古城は標高211mの鶏籠山の山頂部に築かれた山城です。
頂部に本丸があり、南側の尾根上に二の丸があり複数の段上の曲輪が築かれています。
二の丸に至る大手道の両側には大きな竪堀が築かれ、敵の移動を制限しています。
龍野古城・登城口
登城口
龍野古城の南西に龍野古城の登城口があります。
登城口は龍野藩主の別邸がある聚遠亭の近くにあり、登城口から本丸までは歩いて45分程掛かります。
こちらは龍野古城の背後から登る道で、大手道は龍野城の本丸御殿横にあります。
侍屋敷の石垣
舗装された登城道を登って行くと途中に侍屋敷の石垣や蹲(つくばい)、矢穴の空いた石などがあります。
段々に築かれた石垣のある場所は侍屋敷跡と云われ、太平洋戦争時には畑として利用されました。
登り口と説明板
大きな石燈籠がある所に龍野古城の説明板が設置されています。
ここから先はかなりの急斜面や細い道が続くので、しっかりとした登山の装備が必要です。
龍野古城・本丸
竪堀
急斜面を登って行くと左手に竪堀があります。
竪堀は急斜面に築かれた空堀で、攻め寄せる敵が斜面を横方向に移動するのを制限しています。
竪堀は斜面を落ちて行く空堀の様子がハッキリと分かるので、見どころです
石垣①
竪堀の場所から少し登ると石垣があります。
本丸背後にある石垣は4段程残されているのみで、だいぶ崩れてしまった状態となっています。
古城石段
本丸には八幡宮に続く石段が残されています。
石段は長さが4~5m程でやや崩落してかけている部分もありますが、現在でも歩くことが出来ます。
石だたみ
石段の先には石だたみがあります。
以前は本丸には八幡宮があったようですが、現在は麓の龍野神社の境内に移されています。
石垣②
本丸の頂部付近にも石垣が残されています。
石垣は自然の石を利用した野面積みで、この場所が一番良好に残されている部分になります。
本丸の苔生して隅部が残されている石垣は、龍野古城の一番の見どころです。
本丸内部
本丸は標高211mの山頂部にあります。
本丸には縄張り図付きの説明板とベンチが設置されていて、眼下には揖保川を見る事が出来ます。
龍野古城・二の丸
二の丸は本丸の南側の尾根上にあります。
二の丸はいくつもの削平地が造られ、当時は兵営や米倉、矢倉が建てられていたと思われます。
まとめ
【龍野古城の見どころ】
・本丸に残されている中世の城郭を感じる事が出来る苔生した石垣
・本丸背後に築かれている斜面を落ちて行く竪堀
ウェブサイト:龍野古城|西播磨の山城
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