京都府京都市伏見区にある御香宮神社。
創建時期は不明ですが、平安時代に境内から香の良い水が湧き出た事で、清和天皇より「御香宮」の名を賜りました。
1590年に豊臣秀吉は伏見城の築城の際に鬼門除けとして城内に移し、社領三百石を寄進しました。
1605年に徳川家康により元の位置に戻され、京都所司代の板倉重勝に命じ本殿を造営し、伏見城の大手門を移築しました。
1868年の鳥羽伏見の戦いの時には官軍の本営となり、幕府軍の伏見奉行所を砲撃しました。
現在では極彩色の本殿や拝殿、伏見城から移築された表門などがあり、安産の御利益がある神社となっています。
御香宮神社・基本情報、アクセス
御香宮神社・駐車場
御香宮神社の東側に「御香宮神社駐車場」があります。
80台程停められる有料駐車場です。トイレは境内にあります。
【御香宮神社駐車場】
営業時間:24時間営業・年中無休
料 金:最初の10分無料、以降40分毎200円・最大料金800円
御香宮神社・境内
表門(重要文化財)
御香宮神社の入口には表門があります。
表門は伏見城の大手門を移築したものと伝えられていて、屋根は切妻造りの瓦葺きの単層の門となっています。
廃城となった伏見城の貴重な大手門(表門)は見どころです。
屋根の下には中国の二十四孝と云われる孝行に優れた24人の内の4名(孟宗、唐夫人、郭巨、楊香)が彫刻されています。
当時は彩色があり華やかなであったと思われますが、色が無くても綺麗な彫刻となっています。
「黒田節」誕生の地
表門の横には石垣と塀があり、「黒田節」誕生の地と云われています。
伏見桃山にあった福島正則の屋敷で酒宴が開かれ、黒田家の母里太兵衛が招かれました。
正則が太兵衛に大きな鉢で酒を勧め、飲み切れたら名槍「日本号」を譲ると約束します。
太兵衛は酒を飲み干し日本号を手に入れ、正則が返して欲しいと云っても断ったと云われています。
桃山天満宮
御香宮神社の参道の横には桃山天満宮があります。
桃山天満宮は学問の神と云われる菅原道真を祀る神社で、1394年に創建されました。
境内には本殿、拝殿、厳島社、合祀社、伏見城跡残石などがあります。
拝殿(府指定有形文化財)
参道の先には拝殿があります。
拝殿は1625年に紀伊初代藩主の徳川頼宜の寄進により再建されました。
唐破風の下には中国の故事、登竜門に因んだ極彩色の彫刻が一際目を引き、見どころです。
拝殿の外周にも極彩色の彫刻が施されています。
コウノトリや虎、獅子、牡丹、フクロウ、椿、猿、鳳凰など様々な彫刻があり、一つひとつゆっくりと見るのも良いかと思います。
本殿(重要文化財)
本殿は1605年に徳川家康の命により板倉勝重が普請奉行となり再建されました。
五間社流造で三間の向拝が付き、屋根は檜皮葺、蟇股や木鼻などに極彩色の彫刻が施され、日光東照宮の先駆けと云われています。
極彩色の華やかな本殿は壮観で見どころで、多くの方が安産祈願に訪れています。
能舞台
拝殿の横には能舞台があります。
能舞台は1878年に再建されたもので、秋には神能奉納や区民文化祭などで使用されています。
ソテツ(市指定天然記念物)
本殿の隣には御香宮神社のソテツがあります。
ソテツの正確な樹齢は不明ですが、1605年の本殿造営の時以降に植えられたと考えられています。
ソテツは通常覆いを付けなければ越冬できないですが、このソテツは覆いなしで越冬し、開花する珍しいものとなっています。
まとめ
御香宮神社は伏見城の大手門を移築した表門や極彩色に彩られた拝殿、本殿が見どころです。
また、境内には小堀遠州が作庭した石庭を再現されていて、有料で見学する事もできます。
御香宮神社ウェブサイト:安産の社 御香宮
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