お城の紹介をします。
岐阜県土岐市の妻木城士屋敷です。
1600年の関ヶ原の戦いの功により、7500石の旗本になった妻木氏が妻木城の山麓に築いた陣屋が妻木城士屋敷です。
城主の屋敷や家臣の武家屋敷が建ち並び、参勤交代を行う格式ある陣屋となりました。
1658年に妻木頼次が急死し、跡継ぎがなくなった為、妻木家は断絶し領地没収となりました。
領地のほとんどは幕府直轄となりましたが、分家である妻木村が3000石として明治維新まで存続しました。
現在では、屋敷跡には石垣で区画された曲輪が残され、特に御屋敷の枡形や蔵跡の高石垣が良好に残され見どころとなっています。
妻木城士屋敷・基本情報、アクセス
所在地:〒509-5301 岐阜県土岐市妻木町
城 主:妻木氏
形 式:陣屋
文化財史跡:県指定史跡
日本100名城スタンプ:該当無し
妻木城士屋敷・駐車場
妻木城士屋敷の北側に専用駐車場があります。
30台程駐められる無料の駐車場です。
妻木城士屋敷・御屋敷(北側)
案内板近くの石垣
駐車場の目の前に、妻木城士屋敷があります。
屋敷の曲輪を形成する石垣が横長に築かれていて、気分が上がります。
石垣の高さは1~2m程有り、野面積みと思われます。
近くには案内板があり、パンフレットも設置されているので、ありがたいです。
門跡
やや西側には門跡があります。
両隅の石垣が他の石垣の石より大きく、鏡石のようになっています。
堂々とした門となっていて、屋敷の正門だったと思われます。
二段目の曲輪の石垣
門跡を通って左の曲輪に入ると、二段目の曲輪の石垣が目に入ります。
こちらの石垣も、横に長く一直線に築かれており壮観です。
石垣の高さは2m程で、石の表面が苔生しているのが長年の歴史を感じます。
苔生した石垣好きです。
池跡
屋敷の東側には池跡があります。
現在では水が枯れてしまっていますが、当時は水が湛えられていたと思われます。
生活水の確保と云うよりは、庭園のような意味があったのでしょうか。
井戸跡
池跡の西には、井戸跡があります。
井戸は石組みで強固な造りとなっていて、屋敷内で使用する水源であったと思われます。
現在は埋められていて、水はありません。
妻木城士屋敷・御屋敷
枡形
御屋敷の入口には枡形が築かれています。
四角い空間にはなっていますが、横矢掛かりはあまり意識されていないような印象を受けます。
御屋敷の石垣も高さが2m程で、苔生していて良いです。
御屋敷の入口は石段が築かれています。
石段はやや散乱してしまっていますが、御屋敷の入口にだけこのような石段が築かれているので、力を入れて築かれていることが分ります。
内部
御屋敷は妻木城士屋敷の中心部に位置しています。
現在は建物は残されていませんが、当時は城主である妻木氏の過ごす居館が建てられていたと思われます。
妻木城士屋敷・蔵跡
北側の石垣
御屋敷の西側には蔵跡があります。
蔵跡の北側にも、石垣が築かれています。
石垣の高さは2m程、野面積みと思われます。
浦山第二堰堤(国指定登録有形文化財)
蔵跡の西側には浦山第二堰堤があります。
浦山第二堰堤は1943年に築かれた、砂防ダムです。
戦時中であった為、コンクリートが使用できず、石を積み築かれています。
蔵跡の西側には、高さ5mの高石垣が築かれています。
妻木城士屋敷で最も高い石垣で、迫力があり見どころです。
南端は浦山第二堰堤を築く際に崩され、江戸時代に築かれた石垣と昭和時代に築かれた石垣が融合しています。
最後に
妻木城士屋敷は、各曲輪を形成している石垣が良好に残されています。
特に蔵跡の高石垣は高さが5mで迫力があり、見どころです。
妻木城士屋敷ウェブサイト
https://www.city.toki.lg.jp/docs/hpg000008738.html
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