岐阜県多治見市にある根本城。
16世紀後半に若尾氏が詰めの城として標高285mの城山に砦を築いた事に始まります。
平時は麓の御殿屋敷に居住しており、発掘調査により16世紀頃の天目茶碗や灰釉、鉄釉などの皿類が出土しています。
1582年に織田信長が本能寺で亡くなると、根本城主の若尾甚正は兼山城主の森長可に従い大原、根本、小木の所領を安堵されました。
1584年の小牧羽黒の合戦の際に森長可に従い参戦した、若尾甚九郎元美は戦死してしまいます。
現在でも山頂に本曲輪があり、本曲輪背後の大堀切や旗揚げの松、土橋などが残され見どころとなっています。
根本城・基本情報、アクセス
所在地:〒507‐0066 岐阜県多治見市西山町2丁目
城 主:若尾氏
形 式:山城
文化財史跡:市指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
根本城・駐車場
根本城の東側に元昌寺の駐車場があるので、こちらを駐車場を借りると良いでしょう。
5、6台停められる大きさの駐車場です。トイレはありません。
根本城・縄張り図
根本城は標高285m山頂部に築かれています。
本曲輪の背後(北側)に大堀切を築き、尾根伝いに迫る敵を防いでいます。
南側に二の曲輪があり、竪堀を複数築く事で斜面の移動を制限しています。
根本城・登城口
登城口
元昌寺霊園の駐車場の目の前に登城口があります。
登城口には根本城の縄張り図付きの説明板が設置されています。
根本城の旗が良い雰囲気を出しています。
登城道
登城口から本曲輪までは20分程掛かります。
登城道には道案内板がたくさん設置されているので、迷う事はありません。
城跡の凸のようなマークが面白いです。
旗上げの松
登城道を登って行くと旗上げの松があります。
詳細が分かりませんが少し視界が開けているので、ここに旗を立てれば麓から見えるかも知れません。
根本城・本曲輪
大堀切
本曲輪の北側に大堀切が築かれています。
大堀切は保護、保全の為に入れないようにロープが張られています。
大堀切は深さが4~5m、幅は10m程はあるかと思われます。
大堀切は規模が大きく、根本城で最も良好に残されている遺構なので見どころです。
本曲輪から大堀切を見下ろすと堀切の大きさや深さを実感できます。
北側の尾根から敵が近づけないのが分かります。
曲輪内部
本曲輪の大堀切に接する所に土塁が築かれています。
現在の土塁はやや緩い斜面となっていますが、大堀切と合わせるとより一層強固な防衛線となっています。
景色
本曲輪の東側は視界が開けている場所があります。
麓の町並みや山々が一望できて良い眺望となっています。
根本城・二の曲輪
曲輪内部
本曲輪の南側の一段下がった場所に二の曲輪があります。
二の曲輪は本曲輪を補助するための曲輪で、南側は斜面となっています。
竪堀
二の曲輪の西側では竪堀を見る事ができます。
竪堀は本曲輪の周囲に3ヵ所築かれていて、敵が斜面を横に移動する事を防いでいます。
竪堀の深さは1m程で斜面を落ちて行っています。
根本城・三の曲輪
小堀切、土橋
本曲輪の北側の尾根には小堀切と土橋が築かれています。
堀切の中央部を堀残す事で土橋を形成していて、三の曲輪北側の防備としています。
堀切は小堀切とされているように、深さと幅は大きくはありません。
しかし、堀切中央部の土橋とセットで遺構が良好に残されているので、根本城の見どころです。
曲輪内部
三の曲輪は本曲輪の北側に築かれています。
三の曲輪からも大堀切を見る事ができて、改めて大きさを実感します。
三の曲輪の北側の尾根は標高が本曲輪とあまり変わらないので、本曲輪の北側に大堀切、小堀切が築かれている事が納得です。
まとめ
根本城は本曲輪背後の大堀切や小堀切と土橋が見どころです。
登城道に設置されている案内板や大堀切を保護する為にロープが張られているなど、丁寧に城跡が整備されているので見学がし易い山城となっています。
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