岐阜県土岐市にある細野城。
築城された時期はハッキリとは分かっていませんが、1584年の小牧長久手の戦いの時、又は1600年の関ヶ原の戦いの時に築城されたと考えられています。
関ヶ原の戦いの際には、柿野村で東軍の妻木勢と西軍の田丸勢が戦ったと記録が残されています。
お城は城ヶ根と呼ばれる標高640mの山の傾斜地に築かれていて、眼下には名古屋と飯田を結ぶ中馬街道が通っています。
城主の居城ではなく一時的な陣城として築かれたものと考えられます。
現在でも城跡には、主郭と搦手曲輪を結ぶ土橋や堀切、搦手曲輪の堀切と土塁、主郭と大手曲輪の間の堀切などが良好に残され見どころです。
細野城・基本情報、アクセス
所在地:〒509‐5311 岐阜県土岐市鶴里町991‐2
城 主:不明
形 式:山城、連郭式
文化財史跡:ー
日本100名城スタンプ:該当なし
細野城・駐車場
細野城の西側にある正福寺があり、こちらの駐車場をお借りすると良いです。
10台程停められる広さの駐車場です。
細野城・縄張り図
細野城は標高712mの鶴岡山の城ヶ根と呼ばれる中腹の尾根(標高640m)に築かれています。
尾根の東西は深い谷となり、南側は更に高い尾根が続いている要害となっています。
主郭の南西側に大手曲輪、高い尾根が続く南東側に搦手曲輪が配置され、それぞれの曲輪は堀切や土塁で区切られています。
細野城・登城口
登城口は正福寺の駐車場の隣にあり、案内板が設置されています。
登城口から細野城の主郭までは歩いて45~60分程掛かります。
所々に案内板が設置されているので迷う事はないですが、鶴岡山と細野城へ行く分かれ道があり、細野城へ行く道は急坂となっていて注意が必要です。
中々の登山となるため準備は万端にするのが良いです。
細野城・搦手曲輪
土塁と堀切
細野城の南東に搦手曲輪があります。
搦手曲輪の端には堀切と土塁が築かれていて、背後から迫る敵に備えています。
堀切と土塁を合わせて高低差が2m程となっています。
搦手曲輪内部
搦め手曲輪は主郭の南東側に位置する曲輪で、文字通り細野城の搦手口(裏口)にあります。
尾根上の細長い曲輪で削平地が続いています。
堀切と土塁
搦手曲輪の西側にも堀切と土塁が築かれています。
堀切は尾根を分断し深さは2m程となっていて、端はそのまま斜面を落ちて行き竪堀となっています。
細野城・主郭
土橋
主郭と搦手曲輪の間に堀切で区切られ、中央に土橋が築かれています。
土橋は人ひとり通れる程の幅で主郭側は土塁が互い違いに築かれ、喰い違い虎口と云う形式になっています。
主郭と搦手曲輪を結ぶ土橋と喰い違い虎口、堀切の組み合わせが良好に残されていて、細野城一番の見どころです。
堀切
土橋横の堀切は深さが3m、幅が5m程あり、細野城でも最大級の規模となっています。
この堀切も両端は斜面を落ちて行き竪堀となっていて、敵の斜面の移動を制限しています。
土橋横の堀切は迫力があり、見どころです。
主郭内部
主郭は細野城で最も広い曲輪で、尾根上に築かれているため細長い形となっています。
標高は搦手曲輪の方が高く、そのために堀切や土塁が多数築かれ搦手曲輪側の防備が強化されているような印象を受けます。
主郭には細野城の縄張り図や説明板が設置されています。
土塁
主郭の中央には土塁が尾根に対して垂直に築かれていて、主郭内部が区切られています。
土塁の高さは1~2m程で、所々に大きな石があり、もしかしたら当時は石が積まれていたのかも知れません。
登山道に石切場があったのも細野城で利用されたのかも知れません。
虎口跡
主郭の北西側(大手口)には虎口跡があります。
虎口は坂道で左、右と折れるようになっていて、主郭側から横矢が掛けられるように工夫されています。
虎口にも少し石が残されています。
細野城・大手曲輪
堀切
主郭と大手曲輪の間にも堀切が築かれています。
堀切の深さは2~3m、幅は4~5m程はあるかと思われ、中々規模の大きいものとなっています。
主郭側の方が高い為、大手曲輪側から見るとより高低差を実感します。
大手曲輪内部
大手曲輪は主郭の北西側にあり、主郭より一段低い位置にあります。
大手曲輪の先には大手道があり、細野城の入口となっています。
大手曲輪からは向かいの山や集落を見る事ができ、景色が良いです。
まとめ
【細野城の見どころ】
・主郭と搦手曲輪の間に築かれ、良好に残されている土橋と堀切、喰い違い虎口
・主郭大手側の形状が分かる折れる虎口跡
・主郭と大手曲輪の間にある規模の大きい堀切
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