福井県三方郡美浜町にある佐柿国吉城。
1556年に若狭守護武田氏の重臣である粟屋勝久が築いた山城です。
1563年に越前の朝倉氏が10年余に渡り侵攻しますが、城を守り抜きました。
1570年には朝倉攻めのため織田信長や木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)、徳川家康、明智光秀らが入城し、 3日間滞在、朝倉攻めの軍議が開かれました。
1583年に秀吉の家臣である木村定光が入城し、城の改修と町の整備に着手、1586年に国吉城下の街道に城下町を開きました。
1600年に若狭守護となった京極高次の家臣である多賀良利が入城します。
1634年に小浜城主となった酒井忠勝は国吉城を廃城として町奉行所を置き、以後宿場町として栄えました。
現在でも標高193mの城山には本丸、二の丸などの郭群があり、本丸東側、北側の虎口跡、本丸東側の石垣が残る堀切、二の丸の喰い違いの土塁などが残され見どころとなっています。
また、本丸や北西郭からは周囲の山々や若狭湾を一望できる景色の良い場所となっています。
佐柿国吉城・基本情報、アクセス
所在地:〒919-1132 福井県三方郡美浜町佐柿
城 主:粟屋勝久、木村定光
形 式:山城、連郭式
文化財史跡:町指定史跡
続日本100名城スタンプ:若狭国吉城歴史資料館
佐柿国吉城・駐車場
若狭国吉城歴史資料館の西側に国吉城址駐車場があります。
20台程止められる広さの無料駐車場です。トイレは資料館にあります。
佐柿国吉城・御城印
佐柿国吉城 御城印 1枚300円
佐柿国吉城の御城印が販売されています。
若狭国吉城歴史資料館で1枚300円で購入する事ができます。
絵柄は通常版の他、キャラクターが描かれたものや限定版のものなど複数あります。
佐柿国吉城・準藩士屋敷跡
駐車場の横には準藩士屋敷跡があります。
準藩士屋敷は水戸天狗党の残党を収容する為に1866年に建てられました。
1864年に尊王攘夷を実現する為に、水戸藩の水戸天狗党は京都を目指しますが、幕府軍に追討され敦賀で降伏します。
1865年に首領の武田耕雲斎と353名は死罪となりますが、残りの110名は小浜藩預かりとなり、準藩士格としてこの場所に収容しました。
現在でも石垣が残され屋敷があった場所が分かります。
若狭国吉城歴史資料館
駐車場の先、佐柿国吉城の麓に若狭国吉城歴史資料館があります。
若狭国吉城歴史資料館では佐柿国吉城の歴史が分かる資料が展示されていて、中でも模型が必見です。
また、続日本100名城のスタンプが設置されていて、御城印も販売されています。
【若狭国吉城歴史資料館】
所在地:〒919‐1132 福井県三方郡美浜町佐柿25‐2
開館時間:9:00~17:00・冬季(12月~3月)10:00~16:30※入館は30分前まで
入館料:大人100円・中学生以下50円
休館日:月曜日・祝日の翌日・年末年始(12月29日~1月3日)
ウェブサイト:https://www.town.fukui-mihama.lg.jp/soshiki/30/3546.html
佐柿国吉城・城主居館跡
佐柿町奉行所の石垣
資料館の建てられている場所は江戸時代には佐柿町奉行所があった場所です。
奉行所のあった場所の端部には石垣が残されていて、石垣の高さは1.5m程で途中に折れが設けられています。
幕末から明治に書かれた「佐柿村大絵図」には、石垣上には狭間が設けられた土塀が建てられ、2棟の書院の姿も描かれています。
城主居館跡中段
登城口の横に城主居館跡があります。
城主居館跡は城山南麓部の3つの谷間に段々の郭があり、城主や家臣の屋敷があったと考えられています。
発掘調査により城主居館跡からは4棟分の礎石建物跡や海岸や河岸で採れる丸石を敷き詰めた敷石遺構、建物を仕切る塀の跡などが確認されています。
また、土師質土器や国産の陶器、中国製磁器辺などの出土しています。
佐柿国吉城・登城道
登城口
城主居館跡の先に登城口があります。
登城口は獣避けのフェンスがあり、2ヵ所のフックを外し中に入りフックを閉めます。
熊が出没する事もあるみたいなので熊避けの鈴があると良いと思います。
持っていない人は資料館で貸してくれるようです。
登城道
登城口から本丸までは30分、二の丸までは20分程かかります。
二の丸まで行けばお城の遺構が現れるので、そこまで頑張ってつづら折れの山道を登ります。
佐柿国吉城・二の丸
喰い違い土塁
つづら折れの道を登り切ると左手に二の丸があります。
二の丸には土塁が残されていて、郭側面の土塁と奥には喰い違い土塁が築かれ敵の侵入を阻んでいます。
土塁の高さは2m程あり、土塁の端部の位置をずらして築くことで敵が一直線に侵入できない様に工夫されています。
土塁は良好に残されていて、虎口を形成している様子が分かりやすく、佐柿国吉城の見どころのひとつです。
佐柿国吉城・帯曲輪
石垣
本丸下段には上下二段の帯曲輪がありました。
上段には自然岩盤を取り込みながら石垣が築かれていて、石材は丸みを帯びた自然石や石仏の転用石も使用されていました。
下段は南北30mの直線的な石垣が築かれていて、横長の石材を使用し横に目地が通る布積みと云われる工法で積まれていました。
やはり石垣があるとワクワクしてきます。
堀切
本丸と西郭群の間には堀切が築かれています。
堀切の幅は4mで両側には自然石を使用した石垣が築かれています。
発掘調査では石仏や五輪塔の一部も発見されています。
また、堀切の両側の石垣の端部に橋脚の礎石とみられる平石があり、西郭群側の岸上に橋口の石列も発見され、堀切には橋が架けられていた事が分かっています。
本丸直下の石垣造りの大規模な堀切は見どころです。
佐柿国吉城・本丸
北西虎口跡
本丸には北西と東側に虎口があり、北西虎口が大手となっています。
発掘調査により虎口を形成する石垣、西側に門の礎石、東側には本丸に登る為の石段が発見されています。
石垣は主に自然石を使用していて、石仏や五輪塔の一部を使用した転用石も使われています。
また、大きな花崗岩を使用した鏡石と見られるものも発見されています。
現在は石垣の一部のみ地表に出ていますが、虎口の形状が分かり佐柿国吉城の見どころのひとつとなっています。
本丸内部
本丸は東西70m、南北30mの広さで説明板や石碑、旗などが立てられています。
本丸は眺望が良く、南側に立てられている旗がカッコ良いです。
景色
本丸の南西からは佐柿城下や美浜町の市街地、三方五湖のひとつである久々湖を遠くに見る事ができます。
本丸は非常に景色が良く、山を登った甲斐があります。
東虎口跡
本丸の東側に東虎口跡があります。
東虎口は佐柿国吉城のある城山の東の尾根に向けられている虎口で、現在では石材が散乱している状態です。
発掘調査により虎口の形状が判明していて、石段を登った先は左に折れて本丸内部に入るようになっています。
南隅櫓台跡
本丸の南側には櫓台の跡があります。
発掘調査により礎石を抜き取った土坑跡が確認されていて、佐柿国吉城の最高所に天守を思わせる建造物が建てられていたと考えられています。
また、櫓台下の東面に石列が確認されていて長屋状の建物があったとされています。
堀切
本丸の背後には堀切が築かれています。
道が悪く堀切の近くに行くことができないので、本丸からのぞき込むしかありませんが、上から見ても大きな堀切が築かれている事が分かります。
本丸の背後を守る重要な堀切となっています。
佐柿国吉城・西郭群
西郭①内部
本丸の北西に段々に築かれている西郭群があります。
西郭群は北西に延びる尾根に築かれていて、北西から迫る敵を迎撃できるようになっています。
景色
西郭①の北側は視界が開けていて、景色を楽しむ事ができます。
若狭湾が広がり、天王山や周囲の山々を一望する事ができて爽快です。
この景色の良さは佐柿国吉城の見どころのひとつとなっています。
西郭②内部
西郭の端から一段下にある西郭②に降りる事ができます。
道が急なので足を滑らせないようにロープに掴まりながら降ります。
西郭①を同じくらいの広さの郭となっています。
虎口跡
西郭②の南側中央に虎口の跡らしきものが見受けられます。
地面が凹んでいる場所が虎口跡と思われ、虎口の先を右に行くと西郭③に行くことができます。
西郭③内部
西郭③の西郭②より一段低い場所にあります。
西郭②よりやや広い郭となっていて、郭の先端部に虎口跡があります。
虎口跡
こちらも地面が凹んでいて虎口の様子が分かります。
西郭③の虎口跡は良好に残されていて、見どころです。
西郭③の一段下の郭から見ると、虎口を直進すると目の前に土の壁が立ちはだかるので、右に折れて郭③に入らないといけないようになっています。
侵入してくる敵に対して横矢が掛けられるように工夫されています。
まとめ
佐柿国吉城は本丸北西の虎口跡、本丸と西郭群の間に築かれた堀切、二の丸の喰い違い土塁などが見どころです。
また、本丸や西郭群からの景色は織田信長も褒め称えたと伝えられていて、必見です。
幾度も攻められても落城しなかった難攻不落の堅城を体感できる山城です。
若狭国吉城歴史資料館ウェブサイト
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