愛知県名古屋市にある末森城(末盛城)。
1548年に織田信秀が東山丘陵の末端に末森城を築城し、古渡城から移りました。
実弟の信光の守山城と連携して、三河の今川方に対する為に築城されました。
1552年に織田信秀は末森城で病死し、三男である信行が城主となりました。
1556年に織田信行は兄信長と対立し、柴田勝家や林秀貞らと共に反旗を翻し、稲生原で戦いますが敗れます。
1558年に信行はふたたび反旗を翻しますが、柴田勝家の内通により清州城で信長に謀殺され、末森城は廃城となります。
現在城跡には城山八幡宮の境内となっており、本丸の空堀が残され見どころとなっています。
末森城・基本情報、アクセス
所在地:〒464‐0045 愛知県名古屋市千種区城山町2丁目88‐88
城主:織田信秀、織田信行
形式:平山城
文化財史跡:なし
日本100名城スタンプ:該当なし
末森城・駐車場
末森城(城山八幡宮)の西側に城山八幡宮の駐車場があります。
西側を通る県道30号線(関田名古屋線)から駐車場に行くことができます。
無料駐車場ですが城山八幡宮の参拝者用駐車場なので、参拝して城跡を見学するようにしましょう。
末森城・御城印
末森城 御城印
末森城の御城印を入手する事ができます。
城山八幡宮の社務所で、初穂料500円を収めると頂くことができます。
末森城・本丸
城山八幡宮・鳥居
城山八幡宮の南側には朱色の大きな鳥居があります。
城山八幡宮のメインの入口となっていて、鳥居の左側には末森城の説明板が設置されています。
空堀(南側)
鳥居をくぐり階段を上がると末森城本丸の空堀跡があります。
空堀の案内板が設置されているので、分かりやすいです。
夏場は写真のように草や木の葉が生い茂っているので、冬に訪れると良いかと思います。
本丸南側の空堀は深さが5~7m、幅が5~6mほどあり、良好に残されています。
空堀は末森城で唯一残されている遺構で、且つ迫力があるので見どころです。
空堀(東側)
本丸東側の空堀跡も見る事ができます。
織田家本城 末森城空堀跡と書かれた案内板がカッコいいです。
本丸東側の空堀は深さが5~6m、幅も5~6m程あり、こちらも迫力があります。
奥側の本丸は一段高くなっているので、堅牢な城郭となっています。
末森城本丸の西側にも空堀が残されており、木々の隙間から見る事ができます。
曲輪内部・城山八幡宮
現在末森城の本丸には城山八幡宮が建立されています。
城山八幡宮は城主の織田信行が加賀の白山比咩神社から分霊を迎えて、城内に白山社を建立したことに始まります。
その後、明治時代に近隣の神社合祀されて城山八幡宮となりました。
現在では厄払い開運、交通安全、縁結びなどの御利益があります。
【城山八幡宮】
所在地:〒464‐0045 愛知県名古屋市千種区城山町2丁目88番地
開場時間:開場、閉門 5:30~20:00・社務所 9:15~16:00
定休日:無休
TEL:(052)751‐0788
ウェブサイト:http://www.shiroyama.or.jp/
拝殿
城山八幡宮の奥に拝殿があります。
奥に本殿、空堀、右手に社務所があるので、お守りや御朱印、御城印を頂くことができます。
石碑
城山八幡宮の南東側に末森城の石碑があります。
末森城を築城した織田信秀は織田信長の父として有名です。
織田信秀は勝幡城主で清州三奉行のひとりである信定の長男として生まれました。
織田家の本流は尾張の守護代である織田大和守である、信定は織田弾正中と云う庶流でした。
家督を継いだ信秀は伊勢湾に近く木曽川を臨み水運が盛んであった、津島の港や牛頭天王社(津島神社)の門前町を生かし経済に力を入れました。
1538年には今川氏豊の居城である那古屋城を謀略で奪い取り、勝幡城から居城を移しました。
1539年には古渡城を築き居城を移し、那古屋城を信長に譲りました。
この時に熱田神宮、門前町を手にしさらに経済力を強化します。
信秀はこうして得た金銭で、朝廷や神社などに献金を行い地位を強化しました。
そして、1548年にこの末森城を築き居城を移し、1552年に末森城で病死します。
経済力を重視、居城を状況に応じて移すという方針は信長に受け継がれ、天下取りへと邁進する事になります。
末森城は信長の父であり師である、信秀の存在を感じる事ができる城跡となっています。
まとめ
末森城は本丸の外周部に残されている空堀が見どころです。
本丸跡は城山八幡宮の境内となっているので、参拝と城跡見学を行うと良いでしょう。
末森城ウェブサイト
https://www.city.nagoya.jp/chikusa/page/0000000645.html
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