愛知県刈谷市にある刈谷城。
1533年に水野忠政が築城しました。
水野忠政の娘である於代の方は松平広忠に嫁ぎ、竹千代(後の徳川家康)を産んでいます。
水野忠政の後を継いだ水野信元は織田方に付き、刈谷や緒川の支配を強固にしますが、信長家臣の佐久信盛の讒言により殺されてしまいます。
刈谷は佐久間信盛が支配しますがほどなく失脚し、水野信元の末弟である忠重が刈谷城主となります。
1600年に徳川家康の命により水野勝成が城主となり、刈谷藩初代藩主となります。
水野勝成は大坂夏の陣で功を上げると大和郡山に転封となり、その後は深溝松平氏、久松松平氏、稲垣氏、阿部氏、本多氏、三浦氏と城主が目まぐるしく変わります。
1747年に下総古河から土井氏が入封すると、明治維新まで土井氏が藩主なります。
現在では亀城公園として整備され、本丸の土塁や二の丸の水堀跡が残され見どころとなっています。
また、亀城公園の北側には「刈谷市歴史博物館」が建てられ刈谷城の歴史を学ぶことができます。
刈谷城・基本情報、アクセス
所在地:〒448‐0833 愛知県刈谷市城町1丁目49
城 主:水野氏、深溝松平氏、久松松平氏、稲垣氏、阿部氏、本多氏、三浦氏、土井氏
形 式:平城
文化財史跡:なし
日本100名城スタンプ:該当なし
刈谷城・駐車場
刈谷城のある亀城公園に駐車場があります。
道路の反対側にも駐車場があり、合わせて50台以上は停められる広さの無料駐車場です。
トイレは公園内にあります。
刈谷城・御城印
刈谷城 御城印 1枚300円
刈谷城の御城印が販売されています。
刈谷市歴史博物館で1枚300円で購入する事ができます。
博物館では刈谷城のジオラマがあり当時の姿を見る事ができます。
【刈谷市歴史博物館】
所在地:〒448‐0838 愛知県刈谷市逢妻町4丁目25番地1
開館時間:9:00~17:00
入館料:無料
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、祝日の翌日、年末年始など
ウェブサイト:刈谷市歴史博物館
刈谷城・二の丸
水堀
本丸の東側に二の丸があります。
二の丸と本丸の間には水堀が残されていて、幅は10m以上あり大きなものとなっています。
水堀は刈谷城の数少ない遺構になり、見どころのひとつです。
刈谷城・本丸
土塁
二の丸の西側に本丸があり、衣ヶ浦(逢妻川、境川)に面しています。
本丸の東側には土塁が残されていて、高さは3~4m、全長は40m以上に渡ります。
本丸の土塁は刈谷城で最も良好に残されている遺構で、見どころです。
この土塁の上に辰巳櫓、多門櫓、表門などが復元する計画があります。
虎口跡
本丸の西側には表門跡があります。
表門は本丸に入る正面玄関であり、当時は桝形門形式で櫓門が建っていたと考えられています。
戌亥櫓跡(十朋亭)
本丸は東西27m、南北81mの広さがあり、当時は番所や井戸がありました。
本丸の北西の十朋亭が建っている場所には、当時戌亥櫓が建てられていました。
戌亥櫓は二重櫓で、4間(7.2m)×5間(9m)の大きさで天守がない刈谷城の天守代用と考えられています。
松本奎堂歌碑
本丸には松本奎堂歌碑が立てられています。
松本奎堂は幕末に天誅組の総裁となった人物で、尊王攘夷を成し遂げる為に活動しました。
孝明天皇の大和行幸の際に大和国五條代官所で迎える計画でしたが、京都で八月一八日の政変が起こった為、中止となりました。
大義名分を失った天誅組は高取藩を攻撃しますが敗れ、内部分裂し瓦解しました。
まとめ
刈谷城は本丸の土塁、本丸と二の丸の間の水堀が見どころです。
遺構はあまり残されていませんが、刈谷市歴史博物館では無料で刈谷城や刈谷の歴史を知ることができるので、必見です。
また、刈谷城の北東には徳川家康の生母、於代の方が松平広忠に離縁された際に住んでいたとされる、椎の木屋敷跡もあります。
刈谷城ウェブサイト:刈谷市ホームページ
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