お城の紹介をします。
愛知県新城市の柿本城です。
1568年に井伊谷三人衆のひとりである、鈴木重勝が徳川家康の命を受けて、三河と遠江の国境を守る為に築いた山城です。
1572年に武田信玄が遠江に侵攻すると、別働隊である山県昌景の5,000人の軍が柿本城に迫って来ました。
当時柿本城は本丸しか完成しておらず、しかも城兵も500人しかいない状態だったので、城主の鈴木重好は満光寺の玄賀和尚の仲介により和睦を結びました。
その後、鈴木重好は徳川四天王のひとりである井伊直政に仕え、数々の戦功を上げました。
現在の柿本城は、本丸、二の丸、三の丸などの曲輪跡が残り、特に本丸では簡易の冠木門や外周に木の柵が再現され当時の姿を垣間見る事ができます。
柿本城・基本情報、アクセス
所在地:〒441-1621 愛知県新城市下吉田柿本36
城 主:鈴木氏
形 式:山城
文化財史跡:なし
日本100名城スタンプ場所:該当無し
柿本城・駐車場
柿本城の南側に「道の駅 鳳来三河三石」という道の駅があるので、こちらの駐車場を利用すると良いでしょう。
20台程駐められ、トイレも完備してします。
柿本城・御城印
柿本城 御城印 1枚300円
柿本城の御城印は、「新城市長篠城址保存館」で販売されています。
1枚300円で、柿本城の他にも長篠城や宇利城、野田城など新城七名城と呼ばれる御城印が販売されています。
新城市長篠城址保存館ウェブサイト
https://www.city.shinshiro.lg.jp/mokuteki/shisetu/shiryokan/nagashinojyoshi/yokoso.html
柿本城・縄張り
柿本城は、標高190mの子路山山頂付近に築かれた山城です。
本丸を中心に北西に二ノ丸、本丸下段の南西に三の丸、南東に出丸が配されています。
城内に建築物は確認されておらず、曲輪の外周に柵や塀を築く防御機構となっています。
曹洞宗 青龍山満光寺
柿本城の南東側には満光寺があります。
満光寺は平安時代建立された天台宗のお寺で、室町時代に戦火に焼失してしましますが、1532年に鈴木氏により曹洞宗のお寺として再建されます。
柿本城が武田軍に攻められた際には、満光寺の和尚が和睦の仲介を行っています。
1707年に建立された、新城市指定文化財の山門も現存しています。
柿本城・登城口
満光寺の山門をくぐると、柿本城への登城道があります。
柿本城への案内板が各所に掲げられているので、分かり易いです。
満光寺から山道を登って行くと、鳥居と祠が見えて来ます。
柿本城へは10~15分程歩いて行くと到着します。
腰曲輪
本丸の下段には腰曲輪があります。
腰曲輪には木の柵と木の楯が置かれていて、当時の柿本城の姿を再現しています。
腰曲輪は本丸の南側にあり、本丸の側面の防備を強めています。
木の柵が作られているので、曲輪の形が分かりやすく、見ていて面白いです。
柿本城・本丸
本丸虎口、冠木門
腰曲輪の横を登って行くと本丸があります。
本丸の虎口には冠木門風の門が再現されています。
当時から合ったかどうか分かりませんが、やはり簡易的でもこのような門や柵が再現されていると、嬉しいです。
本丸内部
本丸は広さが南北70m、東西35mあり、柿本城で最も大きい曲輪です。
細長い曲輪で、南西側を覗くと腰曲輪を眼下に見る事ができ、迫る敵を攻撃する事ができます。
鈴木重勝之城址 石碑
本丸には鈴木重勝之城址の石碑があります。
鈴木重勝は柿本城を築いた人物で、石碑が作られていて地元の方に愛されているようです。
柿本城・二の丸
本丸の北西には二の丸があります。
二の丸は南北30m、東西40mの広さがあり、本丸に次ぐ大きさの曲輪です。
土塁などの遺構は特にはなく、曲輪跡が残っているのみです。
柿本城・三の丸
本丸の西側には三の丸があります。
三の丸は南北22m、東西13mの広さとなっており、小さい曲輪です。
腰曲輪の様な機能を持った曲輪と思われます。
柿本城・出丸
本丸の東側には出丸があります。
出丸は南北35m、東西15mの広さの曲輪で、本丸の東側の防備を担当しています。
出丸は本丸より高所にあり、登城道から迫る敵に対して横矢が掛ける事ができるので、防御上重要な曲輪と思われます。
最後に
柿本城は三河と遠江の国境にある小さな山城です。
大規模な堀や土塁、堀切などの遺構はありませんが、曲輪の外周に木の柵を立てたり、木の楯を並べるなどの見せる工夫がされていて、城内を巡るのが楽しいお城です。
柿本城址ウェブサイト
https://www.okuminavi.jp/search/detail.php?id=1065
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