お城の紹介をします。
愛知県新城市の医王寺山武田勝頼本陣です。(お城というよりは、陣城です)
1575年に武田勝頼が長篠城を攻略する為に築いた陣城です。
武田勝頼は、奥平貞昌が籠もる長篠城を落す為、1万5千の大軍を率いて包囲し、勝頼はこの場所に本陣を敷きました。
要害の地に築かれた堅固な長篠城は、奥平貞昌や鳥居強右衛門も活躍もあり、中々落す事ができませんでした。
織田・徳川連合軍の後詰めが到着し、設楽原に陣を築き始めると勝頼は、設楽原へ本隊を進軍させます。
その後、家康家臣の酒井忠次が武田側の鳶ヶ巣山砦を急襲された事を知ると、連吾川を越え決戦を挑みます。
これが長篠の戦いであり、結果は武田勝頼の大敗に終わる事はご存じだと思われます。
現在でも医王寺山武田勝頼本陣には、本曲輪、東曲輪、西曲輪跡が残されています。
本曲輪には物見櫓が再現されており、長篠城を眼下に見ることができます。
医王寺山武田勝頼本陣・基本情報、アクセス
所在地:〒441-1634 愛知県新城市長篠弥陀の前256
城 主:武田氏
形 式:山城 陣城
文化財史跡:新城市指定文化財
日本100名城スタンプ:該当無し
医王寺山武田勝頼本陣・駐車場
武田勝頼本陣の南側の医王寺があるので、こちらの駐車場を利用すると良いでしょう。
30台程は駐められる無料駐車場です。境内にトイレもあります。
医王寺
山門
長篠山医王寺は薬師如来を本尊とする曹洞宗のお寺で、1514年に創設されました。
山門周辺は趣のある、雰囲気で落ち着いた時が流れています。
本堂
1575年の長篠の戦いの際に、武田勝頼がこの医王寺を本陣としました。
長篠の戦いの時に使用された槍の穂先や矢尻などが、本堂横の資料館に展示されています。
医王寺山武田勝頼本陣・縄張り
医王寺山武田勝頼本陣は、医王寺背後の山頂に築かれています。
本曲輪の左右には、西曲輪と東曲輪が築かれています。
長篠城を攻略する為に築かれたので、簡易的な縄張りとなっています。
医王寺山武田勝頼本陣・登城道
医王寺の東側と西側に、武田勝頼本陣に行く為の登城道があります。
東側の道の方が良く整備されているので、こちらがオススメです。
麓の登城口から歩いて、10~15分程で本曲輪(物見櫓)に行くことができます。
医王寺山武田勝頼本陣・東曲輪
内部
本曲輪の東には、東曲輪があります。
現在は草が生い茂っており、本曲輪へ行く為の通路となっています。
土橋
東曲輪の先には、本曲輪に行く為の土橋があります。
土橋の両側は谷になっていて、少人数しか通れないような道幅になっています。
谷は人工的に築かれた堀切かどうかは微妙な所です。
医王寺山武田勝頼本陣・本曲輪
内部
山頂に本曲輪があります。
本曲輪には物見櫓やベンチがあり、景色を眺めながら休憩する事ができます。
物見櫓
本曲輪に再現された物見櫓です。
かなり立派な物見櫓で、櫓に登る事ができます。
実際にこのような物見櫓が建てられていたかどうかは分かりませんが、やはり建物があるのと無いのとでは、ある方が良いです。
景色
物見櫓からの景色です。
物見櫓からは、手前側に医王寺、中央やや奥あたりに長篠城を見る事ができます。
長篠城を眼下に見ることができ、武田勝頼もこの景色を見ていたと思うと、感慨深いです。
医王寺山武田勝頼本陣・西曲輪
虎口
本曲輪の西側には、西曲輪があります。
西曲輪には本曲輪に入る為の虎口があります。
虎口はやや右に折れているように見受けられます。
内部
西曲輪はやや草が生えている場所がありますが、東曲輪よりは分かりやすい状態です。
曲輪の広さは本曲輪とほぼ同じ位です。
医王寺山武田勝頼本陣・見晴台
見晴台への道
武田勝頼本陣の西側には、見晴台があります。
麓の見晴台への道から、歩いて5分程で行くことができます。
内部
見晴台にはちょっとした椅子とテーブルがあります。
景色
見晴台からの景色です。
医王寺の屋根と周囲の山々が見る事ができますが、物見櫓からの景色の方が良いです。
天神山陣地
天神山陣地への道
見晴台の更に先には天神山陣地への道があります。
見晴台から歩いて10分程で、天神山陣地に行くことができます。
天神山陣地(䇮柄天神社)
天神山陣地は東に長篠城、西に設楽原を見る事ができる絶好の場所に位置しています。
たびたび、この天神山陣地から長篠城を攻撃しました。
現在は、䇮柄天神社という歴史ある神社が佇んでいます。
最後に
医王寺山武田勝頼本陣は、物見櫓から長篠城を見る事ができ、武田勝頼になった気分になれる場所です。
武田家の命運を分けた戦いが行われた場所なので、随所に武田家の歴史を感じる事ができます。
医王寺山武田勝頼本陣跡ウェブサイト
https://www.okuminavi.jp/search/detail.php?id=514
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