鳥取県東伯郡にある羽衣石城(うえしじょう)。
1366年に出雲守護 塩冶高貞の次男である南条貞宗が築城した山城です。
1524年に尼子経久の伯耆侵攻(大永の五月崩れ)により南条宗勝は山名氏の元に逃れます。
1562年に毛利氏と宗勝は尼子氏を滅ぼすと羽衣石城に戻ります。
1575年に宗勝が病死すると南条元続が家督を継ぎ、1579年に南条氏は毛利氏から秀吉方に付きます。
1581年に吉川元春の子、元長が羽衣石城を攻めますが、鳥取城を落とした秀吉が迫ったため、両者は退陣します。
1582年に吉川元春の配下である山田重直が羽衣石城を落としますが、1584年に織田家と毛利家で和睦が結ばれ、伯耆国東三郡が南条氏の領地となります。
1600年に南条元忠は関ヶ原の戦いの際に西軍側につき敗れた為、羽衣城は廃城となります。
現在城跡は県の史跡に指定され、本丸に模擬天守閣や羽衣石、展望台からの景色が見どころとなっています。
羽衣石城・基本情報、アクセス
所在地:〒689-0733 鳥取県東伯郡湯梨浜町羽衣石
城 主:南条氏、尼子氏、毛利氏
形 式:山城
文化財史跡:県指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
羽衣石城・駐車場

羽衣石城の北西側に羽衣石城駐車場があります。
10台程停められる広さの無料駐車場です。トイレも駐車場内に完備しています。
この駐車場の手前にも10台程停められる駐車場が2ヵ所あります。
羽衣石城・縄張り図

羽衣石城は標高372mの羽衣石山山城です。
北側には東郷池、周囲には羽衣石川、麓には山陰道が通る東伯耆の要衝に築かれています。
主郭を中心に二の曲輪や三の曲輪、帯曲輪が取り囲み、登城道には岩を利用した天然の塁壁や石垣が築かれ天然の要害となっています。
羽衣石城・登城口
案内図

登山道①

駐車場から天守閣のある主郭まで行く登山道は2つあります。
小さな橋が架かっている方は主郭まで400m、徒歩15分程掛かる道で、途中には八幡神社やお茶の水井戸、羽衣石があり、オススメのルートです。
登山道②

もう一つの登山道は主郭まで500m、徒歩20分掛かる道で、登山道①より長く時間が掛かります。
途中に天然の塁壁と呼ばれる自然の岩を利用した防御機構を見る事が出来ます。
羽衣石城・山腹部
八幡神社

登山道①の途中には八幡神社へ行く道があります。
八幡神社は羽衣石の八幡さんとも呼ばれ、主郭にある案内板には推定居館跡と書かれている場所です。
石垣

登山道①の途中には石垣があります。
石垣は自然の石を使用した野面積みですが、いつ築かれたのか等の詳細は不明です。
石垣の先の道には城内の水源として利用した、お茶の水井戸が残されています。
羽衣石

登山道を進むと羽衣石が見えて来ます。
昔この山に羽衣を纏った天女が降り立った伝説があることから、羽衣石山と名付けられています。
羽衣石は大きく迫力があり名前の由来ともなったもので、羽衣石城の見どころの一つとなっています。
羽衣石城・帯曲輪
展望台

主郭の外守部に帯曲輪があります。
帯郭の西側(登山道①側)には展望台が設置されていて、羽衣石城の絶景を楽しむ事が出来ます。
景色

展望台からは日本海や東郷池、周囲の山々などを一望する事が出来ます。
視界を遮るものがなく日本海と空の青色の境界線が分からず、一体となっていて絶景です。
展望台からの眺望は爽快感があり、羽衣石城の見どころです。
羽衣石城・主郭
虎口跡

主郭の南側に主郭の虎口跡があります。
虎口は緩やかな坂道となっていて、主郭と帯曲輪の間に小さな曲輪があります。
模擬天守閣

主郭には模擬天守閣が建てられています。
羽衣石城に天守か建てられた事はありませんが、1931年に南条氏の子孫がトタン製の模擬天守閣が建てられ、1990年に現在の模擬天守閣に建て替えられました。
模擬天守閣ですが実際に見てみると思っていたよりも立派で、羽衣石のシンボルとなっていて見どころです。
主郭内部

主郭は標高372mの羽衣石山の山頂部に位置していて、南北20m、東西66mの広さがあります。
南北朝時代に南条貞宗が築城し、落城と復活を繰り返し1600年に廃城となるまで南条氏230年の居城となりました。
羽衣石城・二の曲輪

主郭東側の一段下がった場所に二の曲輪があります。
二の曲輪は主郭より一回り小さな曲輪で、登山道②から登って来る道に繋がっています。
まとめ

【羽衣石城の見どころ】
・主郭に建てられ羽衣石城のシンボルとなっている三重三階の模擬天守閣
・帯曲輪の展望台から日本海、東郷池、山々を一望すことが出来る絶景
・羽衣石伝説が残り地名の由来ともなっている羽衣石
ウェブサイト:羽衣石城跡(県指定史跡)-湯梨浜町
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