茨城県鹿嶋市にある鹿島城。
平安時代末期に鹿島政幹が築城し、鹿島氏の居城となります。
1520年頃に鹿島義幹が城の大改修を行い、それが原因で高天原合戦という内紛になります。
1591年に鹿島清秀父子は常陸太田城の佐竹義宣に謀殺され、鹿島城は落城します。
関ヶ原の戦い後、徳川家康により佐竹氏は出羽に転封、鹿島氏の一族は鹿島神宮の要職に就かせます。
現在鹿島城の本丸は鹿島城山公園として整備され、空堀や曲輪跡、七つ井などが残され見どころとなっています。
鹿島城・基本情報、アクセス
所在地:〒314‐0038 茨城県鹿嶋市城山1丁目1
城 主:鹿島氏
形 式:平山城
文化財史跡:ー
日本100名城スタンプ:該当なし
鹿島城・駐車場

鹿島城の東側に「城山公園駐車場」があります。
20台程停められる広さの無料駐車場です。未舗装の駐車場となっています。
細い坂道を登った先にあり、対向車が来るとすれ違いが難しいので注意が必要です。トイレは公園内にあります。

鹿島城の西側にも「城山公園駐車場」があります。
40台程停められる広さの無料駐車場です。こちらは舗装されていますが、本丸までは坂道を歩いて登らないと行けません。
鹿島城・本丸
空堀

本丸の東側に空堀と土橋跡があります。
土橋跡は現在アスファルトで舗装されていますが、両側には空堀が築かれているので、城郭の面影は感じる事が出来ます。

土橋の横の空堀は深さが10m、幅は20m以上はあるかと思われます。
本丸東側の空堀は鹿島城で最も良好に残されている城郭遺構で、迫力があり見どころです。
当時はこのような空堀が土橋の両側(南北)に築かれていて、本丸を堅固にしていたと思われます。
七つ井(寸府井跡)

本丸の南西部に七つ井跡があります。
七つ井は水道が整備される迄の間、鹿島の宮中地区で使用されていた七つの井戸です。
現在は跡のみとなって何もありませんが、当時の人々の貴重な水源となっていたようです。
石碑

鹿島城は西に浪逆浦、東に三笠山がある城山に築かれていて、城山公園が本丸跡となっています。
本丸の南側の鹿島高校がある場所が二の丸で、本丸と二の丸の東側、鹿島神宮前あたりまでが三の丸と広大な城郭でした。
本丸内には土塁跡があり、いくつかの区画に分けられていたのかも知れません。
土塁

当時の本丸は外周部を土塁で囲まれていたと思われ、現在でも北側に土塁の跡が残されています。
土塁の高さは1m程で、現在は公園の遊歩道となっています。
現在は規模が小さくなっていますが、鹿島城の貴重な遺構となっています。
景色

鹿島城の西側は眺望が良く北浦や神宮橋を見る事が出来ます。
場所によっては北浦の鹿島神宮の一之鳥居を見る事も出来るので、景色を眺めながら休憩に良いです。
まとめ

【鹿島城の見どころ】
・本丸東側の土橋両側に築かれている深さ10m、幅20m程の空堀
・本丸外周部の高さ1m程の土塁跡
ウェブサイト:「れ」歴史を伝える 鹿島城‐鹿嶋市ホームページ

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