富山県砺波市にある増山城。
松倉城、守山城と並び「越中三大山城」の一つに数えられている城郭です。
南北朝時代に「二宮円阿軍忠状」に元越中守護の桃井忠常の討伐に従軍した二宮円阿が和田城を守ったと記録されています。
1560年に富山城の神保長職が上杉輝虎(謙信)に攻撃され、増山城へ逃れました。
1562年に神保氏は上杉氏に降伏し増山城を本拠としますが、神保長職が没すると一向一揆勢が増山城に拠ります。
1576年に上杉謙信が増山城を攻め落とし、吉江宗信が増山城の守将となります。
1581年には織田軍の攻撃により落城し、1585年に佐々成政が増山城を改修しますが、豊臣秀吉が越中を攻略すると、増山城は前田氏が領有します。
1586年に上杉景勝は上洛する途中に増山城主 中川光重の饗応を受けます。
1615年の一国一城令により廃城となります。
現在では国の史跡に指定され、主郭跡や主郭と安室屋敷の間の空堀、馬之背ゴの土塁などが残され見どころとなっています。
増山城・基本情報、アクセス
所在地:〒939-1411 富山県砺波市増山
城 主:桃井氏、斯波氏、神保氏、吉江氏、佐々氏、前田氏、中川氏
形 式:山城
文化財史跡:国指定史跡
続日本100名城スタンプ場所:砺波市埋蔵文化センター
増山城・御城印

増山城 御城印 1枚300円
増山城の御城印が販売されています。
増山城から南西へ2㎞程の所にある「砺波市埋蔵文化センター」で、1枚300円で購入する事が出来ます。
続日本100名城のスタンプもこちらに設置されています。
増山城の資料はもちろん、富山県のお城も紹介されているので必見です。
【砺波市埋蔵文化センター】
所在地:〒939‐1431 富山県砺波市瀬成566
開館時間:9:00~17:00
入館料:無料
休館日:月曜日、第3日曜日、祝日、年末年始(12月29日~1月3日)
ウェブサイト:砺波市埋蔵文化センター
増山城・駐車場

増山城の北西側に増山陣屋跡があり、隣に「増山城駐車場」があります。
30台程停められる広さの無料駐車場です。トイレも完備しています。
増山陣屋と呼ばれる建物があり、富山城のパンフレットや資料が展示されていて、増山城見学の拠点となる場所です。
増山城・縄張り図

増山城は砺波郡、射水郡、婦負郡の三郡の境目の要衝に位置し、和田川右岸の山上に築かれた山城です。
南北1.4㎞、東西0.9㎞の城域は2つの谷を取り込んで、富山県屈指の縄張りとなっています。
二ノ丸と呼ばれている曲輪が主郭で、一ノ丸、三ノ丸、安室屋敷などの曲輪が配置され、北東から南西にかけて大きな堀切が二重に配し、更に西側には畝状竪堀群を築き防備を固めています。
増山城・登城口
冠木門

増山城の登山口は3ヵ所あります。
増山陣屋の駐車場から一番近い登山口は北西側にあり、冠木門や説明板が設置されています。
登山口から主郭である二ノ丸までは30分程で行く事が出来ます。
大堀切

登城道の途中に大堀切があります。
大堀切は馬之背ゴから御所山屋敷までの尾根を連続して築かれていて、全長は305mにも及びます。
南側には無常から三ノ丸まで311mの大堀切が築かれていて、増山城の内堀として機能があります。
増山城・馬之背ゴ

増山城の北西端に馬之背ゴと呼ばれる曲輪があります。
馬之背ゴは北のウラナギ口(冠木門)から迫る敵に対して攻撃する為の曲輪です。
現在でも西側に城内最大の土塁が残されていて、見どころとなっています。
増山城・一ノ丸

馬之背ゴの先に一ノ丸があります。
一ノ丸と呼ばれていますが、主郭ではありません。
東西30m、南北80m程の大きさの曲輪で、西側の七曲口とウラナギ口(冠木門)からの合流地点にあり、敵を迎撃する上で重要な曲輪となっています。
増山城・二ノ丸(主郭)
二ノ丸内部

増山城の中心に二ノ丸(主郭)があります。
二ノ丸は城内の最高所にあり、東西90m、南北50m程の広さを持つ城内最大の曲輪となっています。
当時は北東隅と南西隅に櫓が建てられていて、南西隅の櫓は虎口を守っていました。
鐘楼堂跡

二ノ丸の北東隅には鐘楼堂跡があります。
当時は増山城の中心的な櫓が建てられていたと考えられていて、現在でも13m×12mの土壇が残されています。
鐘楼堂跡からは二ノ丸と安室屋敷の間に築かれた堀切を見下ろす事が出来て、見どころです。
横堀

二ノ丸の南側には横堀が築かれています。
堀底の幅は5m、二ノ丸との高低差は6m、全長100m以上ある大きな規模となっています。
1998年の発掘調査では焼土層が確認されていて、1581年の増山城焼き討ちを裏付けている可能性があります。
馬洗池

二ノ丸の東側に馬洗池があります。
二ノ丸東側の空堀を利用した城内唯一の池で、城主が馬の水を汲んだと伝わっています。
寛政年間(1789~1801年)には水田として利用されていました。
増山城・鐘撞堂

増山城の南側には鐘撞堂跡があります。
鐘撞堂は無常(曲輪)と南櫓台と堀切を挟んで築かれていて、当時は櫓上の建物が建てられていたと考えられています。
無常、鐘撞堂、南櫓台の間の連続して築かれた堀切は、良好に残されていて迫力があり見どころです。
増山城・安室屋敷
安室屋敷跡

二ノ丸の北側には安室屋敷跡があります。
安室屋敷は東西35m、南北72m程の大きさで、二ノ丸と同等の広さがあります。
現在でも東側には土塁が良好に残されていて、東側の堀底との高低差は13mにも及びます。
空堀

二ノ丸と安室屋敷の間には大きな空堀が築かれています。
空堀は上面の幅が10m、堀底から二ノ丸までの高低差は11mに及び、城内屈指の規模となっています。
二ノ丸と安室屋敷の間の空堀は、増山城で最も良好に残されていて見どころです。
増山城・三ノ丸

安室屋敷東側の堀を隔てた先に三ノ丸があります。
三ノ丸は東西70m、南北64m程の広さの曲輪で、「オオヤシキ」とも呼ばれていました。
東側には鐘撞堂から続く大堀切、南側の一段低い場所に腰郭や帯郭があり、主要な曲輪の一つとなっています。
増山城・池ノ平等屋敷
池ノ平等屋敷跡

増山城の北東部に池ノ平等屋敷跡があります。
池ノ平等屋敷は亀山城との谷を隔てた池ノ平山にあり、東側の主郭と西側の外郭で構成されています。
外周は低い土塁で囲まれていて、3ヵ所の開口部が出入口となっていました。
伝神保夫人入水井戸

池ノ平等屋敷には井戸跡があります。
城内唯一の井戸で、上杉謙信の攻撃により増山城が落城した際に、神保夫人政子が宝剣を抱いて入水したと伝わっています。
まとめ

【増山城の見どころ】
・二ノ丸と安室屋敷の間に築かれている深さ11mの迫力ある空堀
・二ノ丸東側にある増山城で中心的な建物があったと推定される鐘楼堂跡
・馬之背ゴ曲輪に残されている長大な土塁
・無常、鐘撞堂、南櫓台の間に連続して築かれている堀切
ウェブサイト:国指定史跡 増山城跡のご案内-砺波市役所
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