山梨県甲州市にある勝沼氏館跡。
武田信虎の弟、信友が勝沼衆を率いてこの地を拠点としていました。
1535年に信友は北条氏との戦いにより敗死すると、子の信元が跡を継ぎました。
1560年に信元は謀反の嫌疑をかけられ滅ぼされてしまいます。
近年の研究では信友の後に武田家の重臣である今井氏が館主となり、この地を治めたと考えられています。
館は二重の堀と土塁に囲まれた内郭を中心として北郭、北西郭、東郭などの郭が築かれました。
現在では内郭が残され整備され、内郭を囲む空堀や土塁、東門木橋跡の石垣などが見どころとなっています。
勝沼氏館跡・基本情報、アクセス
所在地:〒409‐1316 山梨県甲州市勝沼町勝沼 字御所
城 主:勝沼氏
形 式:平城
文化財史跡:国指定史跡
日本100名城スタンプ:該当なし
勝沼氏館跡・駐車場
勝沼氏館跡の東側に史跡勝沼氏館跡駐車場があります。
7~8台ほど止められる無料駐車場です。勝沼氏館跡の入口にトイレがあります。
勝沼氏館跡・内郭
内堀
内郭の外周には内堀(空堀)が築かれています。
内郭の南側と西側は崖になっているので、空堀は北側と東側に築かれていて、L字の形になっています。
空堀の深さは5~6m、幅は10m近くあると思われ、内郭側の外周には土塁が築かれているので、より一層高低差が生まれています。
館なのでそこまで規模は大きくないと思っておりましたが、想像を超える大きさの空堀で圧巻です。
空堀は勝沼氏館跡の一番の見どころです。
東門木橋跡
内郭の東側には東門木橋跡があります。
内郭に入る為の東門があり、当時は木橋が架けられていた場所になります。
内郭側の土塁が欠けている場所が虎口です。
木橋の土台となる石垣は石を加工していない野面積みで、大きな石が使用されています。
石垣の高さは2m程ですが、しっかりと石垣が築かれている場所は館内でここだけです。
空堀と石垣の組み合わせが迫力あり、見どころです。
入口
内郭の北側に休憩所があります。
休憩所には勝沼氏館のパンプレットが設置されています。
入口の横には説明板と内郭に入る為の土橋が築かれています。
北門跡
土橋を超えると北門跡があります。
北門には二重目の空堀が築かれていて、現在は木の橋が架けられています。
橋を越えた先には敵を迎え撃つ兵士が集まれる空間、武者溜まりがあります。
土塁と空堀
内郭の北側には二重目の空堀と土塁が築かれています。
空堀の深さは1~2m程で小規模ものとなっていますが、一重目の堀と合わせることで防御力の強化がされています。
工房跡
内郭の東側には工房跡があります。
勝沼氏館の特徴として工房があった事にあります。
内郭の他にも東郭にも複数の工房跡があり、金粒子が付着した土器片が発見されています。
主屋跡
内郭の中心部に主屋跡があります。
内郭の建物が全て礎石を用いた建物で、東郭の礎石の無い掘立柱建物であり明確な差が設けられていました。
主屋は館主が政務を執った場所で、館で最も大きい建物となっていました。
隣には常の御座所と云われる館主が日常生活を行う建物がありました。
築地塀跡
内郭の中の空間を仕切る築地塀が設けられていました。
写真の築地塀は古い土塁を利用した塀となっています。
櫓台
東門の近くには櫓台があります。
この場所に東門を守るための櫓が建てられていたと考えられています。
水屋(四阿)
内郭の北東側に水屋があります。
水屋の付近には台所や水汲み場などがあり、生活するための水利用する場所となっています。
水屋の建物内部にも説明板が展示されているので、資料が豊富です。
土塁
内郭の北側と東側に土塁が築かれています。
土塁は高さが3~4m程あり、空堀と同様にL字の形となっています。
土塁は大きく迫力があり見どころです。
まとめ
勝沼氏館跡は内郭の内堀、土塁、東門木橋跡の石垣が見どころです。
専用の駐車場、パンフレット、説明板もたくさん設置されているので良く整備されていて、見やすい史跡となっています。
内郭の東にある東郭も復元整備されているので、見学すると良いでしょう。
勝沼氏館跡ウェブサイト
https://www.koshu-kankou.jp/map/rekishi/katsunumashiyakataato.html
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