お城の紹介をします。
静岡県磐田市の社山城です。
985年に匂坂氏が築城したと云われていますが、ハッキリとは分かっていません。
1500年に遠江の守護である斯波義寛が弟の義雄を社山城に城主にしますが、1501年に今川氏親により撃退されます。
1572年に武田信玄が二俣城を攻略する際に、社山城の北方に陣を敷きますが、このときに社山城を攻略したと云われています。
1573年に二俣城を奪われた徳川家康が社山城に砦を築いたとも云われています。
現在では本丸外周の帯曲輪に横堀や、本丸と二の丸間の堀切などが残され、見どころとなっています。
社山城・基本情報、アクセス
所在地:〒438-0108 静岡県磐田市社山472
城 主:匂坂氏、
形 式:山城 連郭式
文化財史跡:市指定史跡
日本100名城スタンプ場所:該当無し
社山城・駐車場
社山城の北側に登城口があり、車1台程の駐車スペースがあります。
正式な駐車場ではないので、自主責任で判断して頂けたらと思います。
社山城・登城口の土橋
登城口から山道を登って行くと、土橋が見えて来ます。
土橋は人ひとり通れる程の道幅で、両側は堀切によって遮断されています。
土橋横の堀切
土橋横の堀切は深さ1~2m、幅2m程あり、そのまま斜面へと下っていき竪堀となっています。
土橋両側に堀切が設けられているので、社山城最初の関門となっています。
社山城・本丸
本丸北側の竪堀
本丸北側には大規模な竪堀が築かれています。
現在は遊歩道用の通路が設けられていますが、当時は竪堀で遮断されていたと思われます。
通路が三国志の蜀へ行く為の道みたいで、面白いです。
本丸北側の横堀と土塁
本丸北側には横堀と土塁が築かれています。
かろうじて分かるくらいの堀跡と土塁跡ですが、本丸北側から迫る敵を防ぐ為に築かれていたと思われます。
本丸(一の曲輪)
竪堀横の通路を通って行くと、本丸へ辿り着きます。
本丸は比較的広いスペースがあり、北側にはL字の土塁が築かれています。
土塁は北側と東側に築かれているので、本丸に迫って来た敵に横矢を掛ける事ができます。
本丸には神社が建立されています。
鳥居とお社がひっそりと佇んでいます。
社山城の蘇鉄
神社の横には社山城の蘇鉄があります。
この蘇鉄は、匂坂氏が今川氏からの命を受けて社山城を築城し、その際に3本の蘇鉄が植えられました。
匂坂氏11代の時に匂坂城を築き居を移す際に、蘇鉄も匂坂城に移されました。
その後、武田信玄が匂坂城を攻められた際に、蘇鉄は増参寺に2本、匂坂家に1本移植されました。
往事の故事を元に、平成17年に蘇鉄が植えられたとの事です。
社山城・帯曲輪
横堀と土塁
本丸の西側の一段下には、帯曲輪があります。
帯曲輪には横堀と土塁が築かれ、本丸西側の防備を固めています。
現在でも堀と土塁が良好に残されているので、見どころです。
竪堀
帯曲輪の中程には竪堀が築かれています。
竪堀は深さ2m、幅1~2m程あり、斜面へと落ちています。
土塁の途中に築かれており、敵が斜面を横移動を封じる備えとなっています。
社山城・二の丸
本丸と二の丸間の堀切
本丸の東側に二の丸があり、曲輪間には堀切が設けられています。
堀切は深さ、幅共に大規模なもので社山城で最も大きな遺構になります。
現在では傾斜が緩やかで通路も出来ているので、一見すると堀切とは思えないかもしれません。
土塁
二の丸の西端には土塁が築かれ、土塁上には祠が鎮座しており、
大規模な土塁なので少し分かりづらいです。
二の丸西側に築かれているので、本丸が落された際に、二の丸、三ノ丸を防衛する為の目的があるのでしょうか。
二の丸の東側には堀切を隔てて、三ノ丸があります。草が生い茂っていて近付くことが出来ませんでした。
社山城は匂坂氏が築いた小規模な山城ですが、本丸北側と東側の堀切や帯曲輪の横堀と土塁が良好に残されており、見どころがあります。
社山城の蘇鉄にあるように、小さな領主や城主にも様々な歴史があった事を実感する事が出来て、良い勉強になります。
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