お城の紹介をします。
静岡県袋井市の馬伏塚(まむしづか)城です。
1501年に遠江守護の斯波氏と駿河守護の今川氏が遠江の支配権をめぐり争っていた時に、今川氏が拠点として利用していました。
城主は今川氏に仕える小笠原氏が高天神城と兼任で務めていました。
今川氏が衰退すると、小笠原氏は徳川家康に仕えます。
1574年に高天神城が武田氏により落城すると、徳川家康は馬伏塚城を大改修し、高天神城攻略の拠点とします。
大須賀康高を馬伏塚城主として、1581年に高天神城を攻略するまでは戦略上重要な位置付けられました。
1582年に徳川家康による遠江支配が安定すると、馬伏塚城は必要性がなくなり廃城となりました。
現在城跡は市街地化によりほとんど遺構が失われていますが、本丸の土塁や、北曲輪の土塁、堀切跡が残されています。
馬伏塚城・基本情報、アクセス
所在地:〒437-1102 静岡県袋井市浅名1156
城 主:小笠原氏、大須賀氏
形 式:平山城
文化財史跡:袋井市指定文化財
日本100名城スタンプ:該当無し
馬伏塚城・駐車場
馬伏塚城の北側に岡山公会堂があります。
袋井市の馬伏塚城のパンフレットによると、こちらが駐車場となっています。
3台程駐められる大きさの駐車場です。
馬伏塚城・縄張り
馬伏塚城は横須賀城から北方に4㎞、高天神城から西方へ9㎞の平野部にある小高い丘に築かれたお城です。
高天神城を攻める際に、横須賀城と共に重要な拠点として利用されました。
本丸の北側には神曲輪と馬出が、西側には西丸が築かれ、防備を固めています。
更に北側には、北曲輪と伝居屋敷曲輪があり、両曲輪の間には堀切が築かれています。
馬伏塚城・北曲輪
堀切
駐車場の横には、北曲輪の北側に堀切の跡があります。
写真右手が北曲輪で、現在道路になっている場所が堀切の跡です。
当時の堀切の規模は分りませんが、北曲輪の北側の重要な防御機構になっていたと思われます。
土塁
北曲輪の北側には土塁が築かれています。
土塁の高さは2m程で、やや木々に隠れていますが、遺構を確認する事ができます。
現在北曲輪は私有地となっているので、内部に入る事はできません。
馬伏塚城・馬出
本丸の前面には馬出があります。
神曲輪と共に北側から迫って来た敵に対し、横矢が掛けられる様になっています。
現在は草木に覆われてしまっていて、内部に入ることはできません。
馬伏塚城・本丸
案内板
本丸の近くには馬伏塚城の案内板があります。
馬伏塚城の歴史や縄張り図が掲載されているので、要チェックです。
石碑と鳥居
本丸の入口には、馬伏塚城の石碑と神社の鳥居があります。
当時の本丸虎口は別の所にあったと思われ、この入口は後世に造られたものと思われます。
土塁
本丸内部に入ると、小さな広場があります。
本丸の東側には土塁が残されていて、高さは2~3m程あります。
この土塁が馬伏塚城で良好に残されている遺構で、見どころです。
お社
土塁の上には、神社の小さなお社が建てられています。
土塁の外側を覗き込むと意外と高さがあり、お城として機能することが実感できます。
最後に
馬伏塚城は高天神城を攻める為に改修され拠点として利用されたお城です。
ほとんど遺構が失われてしまっていますが、本丸の土塁がいまでも残されていて、見どころです。
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