沖縄県那覇市の首里城です。
1429年に尚巴志が三山を統一して琉球王国を立てると、琉球王国の中心として、首里城が整備されていきました。
しかし、1469年に金丸がクーデターを起こし、政権を奪取し新王朝を開きます。
1477年~1555年の間に現在に見る首里城が完成しました。
1609年に薩摩藩が琉球に侵攻し、首里城を占拠すると、徳川幕府の支配下となります。
明治維新後の1879年に、日本政府が軍を派遣し国王を追放したことにより、琉球王朝が滅亡します。
首里城はたびたび火災に見舞われていますが、最近では2019年10月の火災が記憶に新しいですね。
沖縄の象徴として、早く復興されると良いです。
現在では、正殿が焼失してしまっていますが、守礼門や奉神門などの様々な琉球文化特有の建築物が復元され当時の琉球王朝を目の当たりにする事ができます。
首里城・基本情報、アクセス
所在地:〒903-0812 沖縄県那覇市首里当蔵町3
城 主:尚氏
形 式:平山城
文化財史跡:世界遺産、国指定史跡
日本100名城スタンプ場所:首里杜館、首里城管理センター
首里城・駐車場
首里城には県営駐車場がありますが、来場者数に対して駐車台数が少ないため、大変混雑します。
開館してすぐに行くか、周辺のコインパーキングを利用するかしないとなかなか駐車出来ません。
時間に余裕を持って行きたいです。
駐車場から正殿に向けて歩いて行くと最初にあるのが、守礼門です。
首里城・守礼門
守礼門は首里城を代表する建築物ですね。
守礼は礼節を守るという意味があり、琉球王国は礼節を重んじる国という事を表しています。
2000円札にも描かれています。
来訪したときは工事中だったのが少し残念でした。
先へ進むと首里城の正門が見えてきます。
首里城・歓会門
歓会門は中国皇帝を歓迎するという意味で歓会と名付けられています。
門の両側に魔除けとしてシーサーがいます。
門の両側は高い石垣が積まれていて、両側から攻撃出来る用になっています。
お城としての防御も万全です。
歓会門を通り抜けると瑞泉門があります。
首里城・瑞泉門
瑞泉門手前の階段の横に泉があり、王宮の飲料水として使われていました。
先ほどの歓会門と違い、門の手前が階段になっているので、お城を攻める側は攻めづらくなっています。
瑞泉門を通り抜けると漏刻門があります。
首里城・漏刻門
漏刻門の櫓の中に水時計があり、太鼓を打ち、時刻を知らせていました。
別名かご居せ御門といいます。
駕籠で登城した人が国王に敬意を表しここで駕籠を降りていました。
漏刻門を通り抜けると、廣福門があります。
首里城・廣福門
ここでも門です。首里城は琉球王国の首都である為、門が多く、警備が厳重です。
お城の防御や、人の出入りを見張っていたのでしょう。
廣福門を抜けると奉神門です。
首里城・奉神門
ここが正殿へ入る為の最後の門です。
奉神とは神を敬うという意味です。
真ん中の通路は身分の高い人だけが通る事が出来ました。
現在では誰でも通行可能です。正殿まで門が立て続き、鉄壁です。
奉神門を通るといよいよ首里城の中心、正殿です。
首里城・正殿
正殿の前に広場があります。
琉球王朝に仕えていた家臣や中国からの使者を受け入れる御庭(うなー)と呼ばれる広場です。
正殿は2階建てになっており、中には玉座が復元されています。
大変煌びやかな装飾が施されていて、琉球王国の栄華を感じることが出来ます。
また、お城の屋根には普通鯱が載せられていますが、正殿では龍になっているのが特徴的です。
正面の唐破風の意匠もカラフルで鮮やかです。
正殿内部はたくさんの資料が展示されていて、見応えがあります。
お土産屋さんもあるのでついつい滞在時間が長くなります。
首里城・東のアザナ
正殿の後方にある東のアザナという見張り台に上がることが出来ます。
首里城を含め様々な建物を一望できるので、非常に良い景色です。
来訪した日は生憎の天気でしたが、晴れていれば爽快でしょうね。
首里城・淑順門
正殿のある御内原のの北側には淑順門があります。
淑順門は2010年に復元された櫓門で、国王やその家族に仕える女官が御内原に入るための入口でした。
曲線を描く石垣の上に建つ櫓門は壮観です。
まとめ
首里城は大変見所が多く、隅々まで見るとなると1日掛かります。
首里杜館にはレストランやカフェがあるので、一息休憩しながら見学するのが良いでしょう。
世界文化遺産に指定された、琉球王国の文化に浸れる良いお城です。
首里城公園ウェブサイト
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