京都府長岡京市の勝竜寺城です。
京都盆地の西南部の西国街道と久我畷が交差する、交通の要衝に築かれたお城です。
1339年に北朝方の細川頼春が築いたとされているが、後の城主である細川藤孝が創作した可能性があります。
1457年に畠山義就が郡代役所として築城したと推定されています。
1568年に織田信長は柴田勝家らに命じ、勝竜寺城に籠もる岩成友通を攻撃し、翌年には信長自ら5万の軍勢を率いて昇竜寺城を攻略しました。
1571年に織田信長は細川藤孝に勝竜寺城を与え、1578年には藤孝の嫡男である細川忠興と明智光秀の娘である 玉(細川ガラシャ)が勝竜寺城で結婚式を行いました。
1582年に本能寺の変の際に勝竜寺城を占拠し、秀吉との山崎の戦いで敗れた光秀は勝竜寺城に逃げ込みますが、城を捨て自身の本拠地である坂本城へ向いますが、途中で討ち取られてしまいます。
現在では勝竜寺城公園として整備され、管理等には細川ガラシャに関する資料が展示してあり、模擬門や模擬櫓、土塀が建てられ当時の様子を再現されています。
勝竜寺城・基本情報、アクセス
所在地:〒617-0836 京都府長岡京市勝竜寺13-1
城 主:細川藤孝、細川忠興 等
形 式:平城
文化財史跡:なし
続日本100名城スタンプ場所:なし
勝竜寺城・駐車場
お城の南西に10台ほど止められる無料の駐車場があります。
駐車場から少し歩くと堀と門が見えてきます。
勝竜寺城・本丸
模擬門
堀に木橋が架かっていて、その先には門が復元されています。
明智家の桔梗紋と細川家の九曜紋の旗が、戦国時代を感じさせてくれます。
木橋を渡った先が本丸です。
木橋を渡った先は枡形門の形状になっています。
三方向から攻撃出来るようになっています。
史実に基づいているか分かりませんが、復元された門もありお城の雰囲気があります。
門を通ると勝竜寺城公園管理棟があります。
入場料は無料で、二階には勝竜寺城や明智光秀の娘の細川ガラシャの資料が展示されています。
管理等を出て、本丸を進み北門跡へ向かいます。
北門跡
北門も枡形の形になっています。
今現在の石垣は高くはありませんが、当時は2m程の高さがあったようです。
門も2カ所に設置されていたようで、厳重な造りになっています。
山崎の戦いで敗れた際に、明智光秀がこの北門から逃げたとも伝えられています。
模擬隅櫓と土塀
本丸の北東には隅櫓と土塀が復元されています。
堀が手前にあって、その先の石垣の上に建てられて居いるので、なかなか雰囲気があります。
本丸内から隅櫓内部に入れますが、椅子があるぐらいで特別見る物はありません。
隅櫓と連結する形で本丸東側には多門櫓があったようです。現在は土塀があるのみです。
まとめ
11月には長岡京ガラシャ祭りが毎年開催されています。
明智光秀の娘 玉が細川忠興に輿入れする行列を再現しています。
勝竜寺城は遺構が少ないですが、明智光秀と細川忠興の結びつきを強めた城でもあり、本能寺の変後に細川家が明智光秀に味方してくれなかった為に、山崎の戦いに敗れてしまうという、何とも因果なお城です。
細川家が明智光秀に味方していたらと思うと歴史ロマンがあります。
勝竜寺城公園ウェブサイト
https://www.city.nagaokakyo.lg.jp/0000001138.html
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