石川県金沢市にある尾山神社。
1599年に前田利家公が没すると、子の利長公は父を神として祀ろうと思いますが、前田家は外様大名であるので徳川幕府に配慮して神社を建てる事ができませんでした。
そこで、越中国射水郡の物部八幡宮と越中国氷見郡の榊葉神明宮を遷都する名目で、卯辰八幡宮を建立し、利家公を合祀しました。
1873年に金谷御殿の跡地に尾山神社が建立され、利家公が祀られるようになり、元の卯辰八幡宮は宇多須神社となります。
1998年には前田利家公の正室であるお松の方も合祀されました。
境内には和漢洋折衷の神門、入母屋造りの拝殿、加賀藩の藩祖である利家公の像、金沢城二の丸の唐門であった東神門などがあり、見どころとなっています。
尾山神社・基本情報、アクセス
尾山神社・駐車場
尾山神社の北側に参拝者用駐車場があります。
10台程停められる大きさの無料駐車場です。トイレは境内にあります。
尾山神社・境内
鳥居
尾山神社の西側に鳥居があります。
鳥居の手前には西内惣構跡があり、1599年に二代利長公が高山右近に造らせたと云われています。
1632年には三代利常公が辰巳用水を利用し、西内惣構に水が引かれました。
神門(重要文化財)
尾山神社の鳥居の奥には神門があります。
1875年に建てられたもので、和漢洋折衷の独特な外観となっています。
初層は日本の技法で造られた三連の木組みのアーチで、外側の石積みは戸室石が使用されています。
三層目にはギヤマンが張られていて、当時は火がともされ灯台として機能していました。
神門は金沢を象徴する景観の一部となっていて、見どころです。
拝殿
尾山神社の中心に拝殿があります。
拝殿は1873年に建立され、入母屋造りの瓦葺きの屋根となっています。
正面には尾山神社と書かれた扁額や大きな唐破風があり、堂々とした印象を受けます。
拝殿の中央の天井は格天井造りで、極彩色のうどんげの花が描かれています。
欄間には欅の一枚板を使用した梅花紋が彫刻されていて、格天井のうどんげの花と共に旧金谷御殿から移築されたものとなっています。
旧金谷御殿から移築された天井や欄間がある、拝殿は見どころです。
利家公像
境内には前田利家公の像があります。
前田利家公は織田信長や柴田勝家、秀吉に仕えた戦国武将で加賀百万石の礎を築きました。
像は母衣と呼ばれる流れ矢を防ぐものを背負っており、利家公は織田家に仕えていた時に赤母衣衆として活躍しました。
お松の方座像
お万の方は名を「まつ」と云い、十二歳の時に前田利家公に嫁ぎ二男九女を儲けました。
戦国時代に前田利家公を支え加賀藩の立藩に尽力し、利家公没後は芳春院と号しました。
庭園(県指定名勝)
尾山神社が創建される以前は、この場所に旧金谷御殿がありました。
庭園は江戸時代末期から明治時代にかけて作庭されたと云われ、池泉回遊式となっています。
庭園内の中島や橋を渡ることができ、憩いの場所となっています。
金谷神社
尾山神社の境内には金谷神社があります。
金谷神社は二代前田利長~十七代までの藩主と正室が祀られている神社となります。
さし石(力石)
金谷神社の横にはさし石があります。
さし石は旧藩主前田家から拝領した番持ち石で、若衆達がこの石を持ち力比べをしました。
現在はこの石を触ると健康になると云われています。
東神門(国登録有形文化財)
尾山神社の東側には東神門があります。
東神門は金沢城の二の丸御殿にあった向唐門で、1870年に卯辰山の招魂社の神門として移築され、1963年にこの場所に移築されました。
東神門は金沢城の貴重な建築物の一部で、細やかな彫刻は必見です。
まとめ
尾山神社は他にはない華やかな神門や一部旧金谷御殿から移築された拝殿、金沢城から移築された東神門が見どころです。
尾山神社のある場所は昔は金谷出丸と云われる金沢城の一部で、江戸中期には隠居した藩主やその一族が住む御殿がありました。
尾山神社は前田家ゆかりの神社で、金沢城と共に見るべき場所となっています。
ウェブサイト:尾山神社
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