愛知県北設楽群設楽町の寺脇城です。
鎌倉時代末期に後藤弾正の居城といわれています。
戦国時代 1532年には、作手奥平氏貞久の六男である貞次が本拠城としました。
1600年に二代信光の時には徳川家康の六男である忠吉仕え、1602年に忠吉が尾張清洲に任じられると信光も清洲に移りました。
現在でも標高701mの丘陵地には大手口奥には大空堀、本曲輪北側には大土塁、横堀などが良好な状態で残され見どころとなっています。
寺脇城・基本情報、アクセス
所在地:〒441-2432 愛知県北設楽郡設楽町東納庫
城 主:奥平氏
形 式:平山城
文化財史跡:町指定史跡
日本100名城スタンプ:該当無し
寺脇城・駐車場
寺脇城の南側に八幡神社があり、寺脇城と兼用で駐車場が用意されています。
無料で30台ほど駐められる大きさの駐車場です。
寺脇城・御城印
寺脇城 御城印 1枚300円
寺脇城の御城印が販売されています。
「道の駅したら」で1枚300円で購入する事ができます。
【道の駅したら】
所在地:〒441-2302 愛知県北設楽群設楽町清崎字中田17-7
営業時間:9:00~17:00(12月~2月 9:00~16:30)
定休日:無休(奥三河郷土館は火曜日定休)
寺脇城・大手口
大手門跡
駐車場から案内表示を頼りに、5分程歩いて行くと寺脇城の入口があります。
入口には獣よけのフェンスが設置されているので、自分で開けて中に入ったらフェンスを閉めてチェーンを掛けます。
この入口が当時は大手門とされていたようです。
大手門の奥には四角く形作られた空間、枡形跡があります。
写真には移っていませんが、手前側に枡形の跡が残されている事が確認できます。
大空堀
枡形の先へ進むと大空堀があります。
大空堀は深さ2~3m、幅が4~5m程あり寺脇城一番の見どころとなっています。
大手口から攻め上がって来た敵を両側の曲輪から横矢が掛けられるようになっていて、迫力満点です。
寺脇城・東三の曲輪
大空堀を進むと東三の曲輪があります。
東三の曲輪には居住できるほどの広さの平地がある曲輪で、城の東を守る主要な曲輪です。
また、城外に通じる虎口も築かれていたようです。
虎口跡
東三の曲輪の先には虎口跡があります。
東三の曲輪、東二の曲輪、本曲輪搦手口、南二の曲輪と各曲輪を繋いでいるので、寺脇城の要といえる重要な虎口となっています。
寺脇城・南二の曲輪
虎口の先には南二の曲輪があります。
南二の曲輪は本曲輪の南側にあるので、本曲輪の南側を守る為の曲輪です。
南側には南三、南四、南五の曲輪が段々と連なっています。
寺脇城・本曲輪
大手口
南二の曲輪の先には本曲輪の大手口があります。
大手口は内枡形で左に曲がり、本曲輪に入る構造になっています。
本曲輪を守る最後の砦となっています。
曲輪内部
本曲輪は寺脇城の北側に位置し、城内で最も広い曲輪となっています。
寺脇城の案内板や祠があります。
大土塁
本曲輪の北側と西側、東側には大土塁が残されています。
大土塁の高さは3m程あり、北側、西側、東側とコの字に築かれていて、本曲輪を守っています。
良好に残されているので、大土塁も寺脇城の見どころとなっています。
搦手口跡
本曲輪の東側には搦手口があります。
東二の曲輪、東腰曲輪から本曲輪に入る為の虎口となっています。
空堀
本曲輪北側の大土塁の外側には空堀が築かれています。
空堀は深さが1m程残されていて、本曲輪の西側にまで延びています。
やはり本曲輪は大土塁、空堀と防備が厳重になっていることが分かります。
浜城への登り口
東帯曲輪の北側には浜城への登り口があります。
浜城は寺脇城の詰めの城として築かれたと言われています。
ここから先へは案内表示がなく、距離も遠い為、事前にしっかりと準備して行くことが必要です。
まとめ
寺脇城は設楽の山奥に築かれたマイナーな城跡ですが、大手口付近の大空堀や本曲輪北側の大土塁、空堀と見どころがたくさんあります。
土造りのお城ですが、どの遺構も良好に残されているので、見応えがあります。
寺脇城ウェブサイト
https://www.kankoshitara.jp/experience/detail/169/
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